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1. ☆ 1月 4日(土)おじいちゃん、ありがとう。~「文集かつしか」から~

投稿日時: 01/04 サイト管理者

「文集かつしか」に掲載された作品を紹介する今日は、その最終日。素直さ、そして温かさや優しさにあふれた素晴らしい作文です。

 

おじいちゃん、ありがとう。  南流山中一年 川﨑祐護

 小学校六年生の夏休みにお父さんのお父さんが亡くなった。おじいちゃんは九州の佐賀県に住んでいた。新型コロナウィルスの感染が流行している時期に倒れて、施設に入居していた。施設では、面会禁止だったため、この前に会ったのは、三年前くらいだった。やっと六年生の夏休みに施設での面会ができるようになったので、おじいちゃんの家に遊びに行く計画を立てた。会えるのが楽しみだった。おじいちゃんの家に遊びに行ったときは、親戚と一緒に外食に行ったり、トランプをしたりした。僕は、おじいちゃんとごはんを食べに行くのが好きだったし、おじいちゃんの犬とテレビを見るのが好きだった。今回も一緒にごはんを食べに行き、お話できるのを楽しみにしていた。

 しかし、願っていたことは叶わなかった。僕が遊びに行く二日前くらいに体調を崩してしまい入院していた。そして、僕がおじいちゃんの病院に着いたときには、もうおじいちゃんの意識はなかった。おじさんやおばさんも病院にやってきた。最期の瞬間は家族全員でおじいちゃんの側にいた。僕はおじいちゃんと手をつないでいた。おじいちゃんの手は、冷たかったが、少し温かいような気もした。おじいちゃんは僕たちが来るのを待っていてくれたようだった。お父さんは泣くのを我慢していた。お母さんが泣いていて、僕もとても哀しく、タオルがびしょぬれになった。しかし、哀しいのと同時にすごく怒っていた自分もいた。「また、一緒にごはんが食べたかった。」「もっとたくさんお話がしたかった。」「あと一日早く来ていたらまだ意識のあるおじいちゃんに会えたかもしれない」「新型コロナウィルスの感染が流行しなければもっと遊びに行けて、おじいちゃんにたくさん会えたのに。」そんなどうにもならないことへの怒りが次から次へとわきあがった。

 お葬式は、おじいちゃんの家でやることになった。おじいちゃんは施設にいるときにずっと家に帰りたがっていたからだ。お母さんから「最後だから、きちんとおじいちゃんをお見送りしてあげようね。」と言われた。僕はこの言葉で、もう会えないと言うことを心の底から感じた。人は死んでしまったらもう話すことが出来ないのだ。その当たり前の事実に気が付けなかった。これからは、悔いが残らないように生きようと心に誓った。僕は僕の周りの人に出来るだけ優しく接しようと思った。おじいちゃんは、僕に最後まで大切なことを教えてくれた。 

「おじいちゃん、ありがとう。」