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☆ 8月 1日(木)女子バレー部、コーチは5名も!!

▼今日から8月。今朝の南流中も昨日に続いて涼しい体感です。第1グラウンドでは、野球部、ソフトボール部、陸上部の練習が行われていました。子ども達の動きも俊敏で、一つ一つの動作に目的を持ち、気持ちを込めている様子です。 

▼第2グラウンドでは、ハンドボール部が試合形式で練習に取り組んでいます。1年生も上手になろうと懸命にボールを追いかけます。

▼エアコンが効いた第1体育館では、常盤平中男子バレー部をお迎えして合同練習。互いに切磋琢磨して練習に励んでいました。常盤平中の皆さん、遠いところお越しいただき、誠にありがとうございます!!

▼午後の第1体育館では剣道部と女子バレー部が練習に取り組みます。長年剣道に取り組んできた腰越先生、堤先生から丁寧な指導を受ける剣道部員達。南流中の子ども達は、剣道を中学から始めた生徒でも、心技体ともに大きく成長していきます。

▼第1体育館の前面では、女子バレー部が練習に励んでいます。今日は、保護者やOBの方など、顧問の照井先生を含めて全部で5名の方々が指導に当たってくださっています。石原先生デザインの「誇~Nanryu Pride」の文字を背に、確実に成長していくバレー部の子ども達です。

▼第2体育館では、男子バスケットボール部が素早いステップで練習に取り組みます。部員は決して多くはありませんが、広いコートを存分に使って思い切りプレーする子ども達。先輩達の思いを受け継ぎ、一歩一歩確実に成長していきます。

☆ 8月 2日(金)全日本級のコーチがテニス部へ!!

▼今朝も暑さはあるものの、風がさわやかに吹き抜ける南流中第1グラウンド。トラックでは本校駅伝部が、流山東部中駅伝部の皆さんと合同練習を行っています。互いに刺激し合いながら、颯爽と駆け抜けます。東部中の皆さん、今日はわざわざお越しになり、ありがとうございます!!

▼野球部はベース間の走塁練習を繰り返します。2~3人が同時に練習を行うなど、短時間でも効率よく練習を行っています。

▼ソフトボール部は素早いボール回しの練習。声も良く出ていて、新チームの1・2年生のみとは思えないほど上達しているのが分かります。

▼テニス部には、子ども達のテニス用品を納入してくださっている「株式会社ルーセント」の河村希美さんがコーチとして練習に参加してくださっています。河村コーチは全日本社会人大会でベスト8になるなど、全国レベルの大会に数々出場。11月8日から東京有明で開催される「第79回 天皇賜杯・皇后賜杯全日本ソフトテニス選手権大会」にも出場が決定しているとのこと(→詳細はこちら:ドリームニュースより)。超一流コーチを招いて本校テニス部も確実に強くなっていくはずです。河村コーチ、今日はありがとうございます!!

▼第1体育館では、女子バスケ部が柏第三中学校バスケ部の皆さんと合同練習。楽しみながら、また、互いに切磋琢磨しながら力をつけていってほしいですね。

▼校舎内の被服室では、今日も家庭科部の子ども達が作品作り。楽しく、でも作業は真剣に行う子ども達です。

▼E棟5階の音楽室廊下からは、霞んではいますが「東京スカイツリー」を見ることができます。

▼夏休みが始まって今日で2週間。休みと言え、校内様々なところで頑張る子ども達の姿にあふれる南流中です。

☆ 8月 3日(土)唐さん、見事「アートの卵賞」!!~アートの卵2024~

本日午後2時から、森の美術館において「アートの卵2024」の表彰式が行われました。

市内中学校の美術部から出品された数多くの作品の中から、南流中美術部の部長でもある唐馨怡さんの作品「Peter & St.Paul Church」が見事に最高賞である「アートの卵賞」に選ばれました。

陰影をしっかりつけるのが好き、という唐さんは「厳かな雰囲気とか神秘性を出したい、見たときに感情を揺さぶられるような表現にしたいと思っていました」と語ります。また、黒一色で仕上げること、左右対称で仕上げることの苦労についても話してくれた唐さん。教会が好きで、リトアニアにあるこの教会に魅せられ、平日は2~3時間、土日は10時間以上かけて仕上げたこの受賞作品への思いを改めて語ってくれました。

見事な作品を描き上げた唐さん。改めて大きな拍手を送りたい気持ちになりました。本当におめでとうございます!!

森の美術館には、この他にも本校美術部を含めた市内美術部の素晴らしい作品が所狭しと飾られています。この機会に是非、子ども達の素晴らしい作品をご覧いただければと思います。(アートの卵2024についての詳細はこちら→森の美術館HPより

☆ 8月 4日(日)「能登半島地震」を忘れないで!!

マグニチュード7.6、最大震度7を記録した「能登半島地震」から7カ月が経過しました。8月4日と5日の2日間にわたって訪れた姉妹都市の能登町とお隣の珠洲市。実際にこの目で見た被災地は道路のひび割れなど、徐々にですが復旧が進んでいるように見えます。しかし、建物など町全体の復興はまだまだこれからという状況。

いま日本は、連日オリンピックで大変な賑わいを見せています。しかし今年の1月1日午後4時10分に能登地方で起こった、あの大地震を絶対に忘れてはいけない。苦しいなか、今なお不自由な生活を強いられている方がたくさんいる。そうした方々に寄り添い続ける必要があると思いました。

▼倒壊した家屋。今年のお正月、この中で楽しく笑いあい、穏やかに生活していた家族がたくさんいたのです。

▼奥に見えるのは、津波で流されてきた家屋が逆さまになっているところ。また、能登伝統のキリコ祭の提灯が倒れています。

▼道路から浮かび上がったマンホール。道路の真ん中にあるため、車の通行は不可能です。こうしたところがまだまだたくさん。周辺の雑草を見ると、かなりの時間が経過したことがわかります。

▼神社で倒れたたくさんの石灯籠。

▼珠洲市で最大の避難所となっている学校。外壁も多数剥がれ落ちています。

▼食事の炊き出し場所となっている自転車置き場。手作りで、屋根や電気、ガスを設置したそうです。

▼自衛隊が設置してくださったお風呂。いまだに多くの方々が利用されているとのことです。

▼能登のシンボルとして有名だった「見附島」(→詳細はこちら:珠洲市ホームページより)。石川県の特別天然記念物でもあるこの島は、形が軍艦に似ているところから別名「軍艦島」とも呼ばれる高さ28mの奇岩でした。

しかし、能登半島地震で島の先端が崩落(→詳細はこちら:読売新聞オンライン)。手前にあった砂浜も、干潮時には島まで徒歩でも渡れた踏み石部分も消失してしまいました。

▼名物だった「鐘」の下部分も崩れ、電話ボックスも斜めになっています。

☆ 8月 5日(月)みんなが行きたくなる学校って?

先日、千葉県立流山北高等学校にて行われた「中高生との交流会」。以下は当日引率してくださった鮒藻先生からの報告です。

8月1日(木)に「令和6年度東葛飾地区中学生・高校生との交流会」が開催されました。本校からは生徒会執行部の野端さんと伊藤さん(ともに2年生)が参加。当日は、流山市の中学生・高校生が集まり、4つのグループに分かれ、次の2つのテーマについての話し合いが行われました。

  ◆テーマ①「みんなが、行きたくなる学校って、どんな学校?」

  ◆テーマ②「みんなが、幸福で充実した人生を送るために何が必要?」

それぞれのテーマについて、事前に考えてきたワークシートをもとに班内で発表。どちらも難しい質問でしたが、活発な意見交換が行われました。

その後、各グループでパワーポイントを作り、全体の場で意見を共有。テーマ②については、伊藤さんがグループ代表として発表しました。多くの人の前で堂々と発表する姿は本当に素晴らしかったです。

発表後は、それぞれ感想を記入しました。一部をご紹介します。

  〇野端さん「他のグループの発表の中にあった例にとても共感した。他人に思いやりを持つというのは、自分だけが考えるのではなく、相手のやってほしいことを引き出すということも大切だと思った。」

  〇伊藤さん「違う学校の人と意見を交わすということは、今までなかったため緊張したが、他人の意見を聞き、考えを深める機会となり良い経験となった。」

 

☆ 8月 6日(火)宝物たちの見守りをよろしくお願いします!!

夏休み前半の部活動も今日で終了。振り返るとあっという間の日々だったように感じます。今朝は、いつも自転車の安全指導を行ってくださっている鰭ヶ崎の三村さんが、除草作業を行ってくださっていました。ありがとうございます!!

1・2年生が中心となった部活動もすっかり定着し、3年生からのバトンをしっかりと確実に受け継いでいます。

今日は、午後1時半から青少年健全育成会議の樫村あい子会長を始め、委員の方5名が本校にお越しになり、校内をご覧いただきました。日頃から本当にありがとうございます!!

明日から学校も機械警備。しばらくは子ども達が学校に来ない日々、家庭や地域で一日の大半を過ごす日々が続きます。

保護者・地域の皆様方、子ども達一人一人は決して学校のものではありません。この地域を作る、日本の未来をつくる大切な宝物です。どうかこの宝物たちへの見守り、声かけを、よろしくお願いいたします。

☆ 8月 6日(火)忘れてはならない日。

今日は「広島原爆の日」。昭和20年(1945年)8月6日に原子爆弾が投下されてから79年。唯一の被爆国に住む我々にとって、決して忘れてはならない日。平和の意味を考えたい日でもあります。

本日午前8時から始まった平和記念式典で、広島市の小学生が「平和への誓い」を読み上げました。この言葉をかみしめたいと思います。以下全文です。

 

目を閉じて想像してください。
緑豊かで美しいまち。人でにぎわう商店街。まちにあふれるたくさんの笑顔。
79年前の広島には、今と変わらない色鮮やかな日常がありました。
昭和20年(1945年) 8 月 6 日 午前 8 時15分。
「ドーン!」という鼓膜が破れるほどの大きな音。
立ち昇る黒味がかった朱色の雲。
人も草木も焼かれ、助けを求める声と絶望の涙で、まちは埋め尽くされました。
ある被爆者は言います。あの時の広島は「地獄」だったと。
原子爆弾は、色鮮やかな日常を奪い、広島を灰色の世界へと変えてしまったのです。
被爆者である私の曾祖母は、当時の様子を語ろうとはしませんでした。
言葉にすることさえつらく悲しい記憶は、79年経った今でも多くの被爆者を苦しめ続けています。
今もなお、世界では戦争が続いています。
79年前と同じように、生きたくても生きることができなかった人たち、
明日を共に過ごすはずだった人を失った人たちが、この世界のどこかにいるのです。
本当にこのままでよいのでしょうか。
願うだけでは、平和はおとずれません。
色鮮やかな日常を守り、平和をつくっていくのは私たちです。
一人一人が相手の話をよく聞くこと。
「違い」を「良さ」と捉え、自分の考えを見直すこと。
仲間と協力し、一つのことを成し遂げること。
私たちにもできる平和への一歩です。
さあ、ヒロシマを共に学び、感じましょう。
平和記念資料館を見学し、被爆者の言葉に触れてください。
そして、家族や友達と平和の尊さや命の重みについて語り合いましょう。
世界を変える平和への一歩を今、踏み出します。
令和 6 年(2024年) 8 月 6 日 こども代表

▼昨年度の3年生は、G7広島サミット直後の令和5年5月21日に修学旅行で広島を訪問。語り部の方からのお話に真剣に耳を傾ける姿。広島平和記念資料館(→HPはこちら)で展示に見入る姿。3年生の子ども達は事前の「平和学習」で多くのことを学び、深く、深く考え続けてきた成果が表情に表れていました。

 

☆ 8月 7日(水)素晴らしい作品をWEBでも!!~アートの卵2024~

8月1日から25日まで、流山市大畔(おおぐろ)にある「森の美術館」で行われている、流山市立中学校美術部合同展「アートの卵2024」(休館日:8月11日~15日及び月・火曜日)。

南流中美術部の部長でもある唐馨怡さん(3年)の作品「Peter & St.Paul Church」が見事に「アートの卵賞」に選ばれたことは、先日お知らせしたところですが(→詳細はこちら)、森の美術館ホームページでは、全展示作品の動画がWEBで公開されています。市内美術部の子ども達の素晴らしい作品の数々を是非ご覧ください!!(→詳細はこちら)

 

      

☆ 8月 8日(木)工夫された見出し!!~美術室前の壁新聞1~

南流中美術室前に飾られている壁新聞の数々。2年生の子ども達が、1年生の頃に作成した見事な壁新聞が所狭しと飾られています。

テーマは 食文化、日本の祭、本、KーPOP、SNOW MAN、アニメ、バレーボールなど本当に様々。子ども達がこだわりの上作成した新聞は、どれも個性豊かで読み応え十分。見出しの文言にもたくさんの工夫が詰まっています。

これから3回にわたってご紹介する予定ですので、このままではちょっと読みにくいかも知れませんので、是非拡大して読んでみてください。子ども達の思いの一端に触れることが出来ます。

☆ 8月 9日(金)「平和は人類共有の世界遺産である」

1945年(昭和20年)8月9日、午前11時2分、長崎に原爆が投下されて今日で79年。

先日の広島に続き本日、長崎において「平和記念式典」が挙行されました。広島と同様に甚大な被害を受けた「長崎」。我々にとって今日8月9日も決して忘れてはならない日です。今日の式典の中では、被爆者を代表して三瀬清一朗さん(89)が「平和への誓い」を述べました。以下その全文です。

平和への誓い

 11時2分、止まったままの柱時計を見るたびに79年前の悪夢がよぎります。

 当時、私は10歳。夏休み中で、午前中に警報が解除され、母と祖母は洗濯と炊事を始めていました。私は家にあったオルガンで、B29の爆音を真似(まね)して、ブーンブーンブーンと音を出して遊んでいました。それを聞いていた祖母が飛んできて「敵機が来たと間違われるから止(や)めなさい」と叱られ、渋々オルガンの蓋(ふた)を閉めて立ち上がろうとした時、ピカッと眩(まぶ)しい閃光(せんこう)が走りました。とっさに学校で教わった通り、指で両耳・両目を押さえ、オルガンの前に伏せました。次の瞬間、ドーンと鈍い音が響き、続いて爆風が家の中を吹き抜けるのが解(わか)りました。その間、恐怖に怯(おび)えながらじっと堪(こら)えていました。やがて静かになったので、恐る恐る頭を上げて辺りを見廻(みまわ)すと、惨憺(さんたん)たる有様(ありさま)で、太陽が落ちてきたと思いあ然としていると、洗濯していた母が狂ったように子供たちを捜し始めました。我が家は8人家族、幸いにも全員無傷でした。

 数日かけて家の中を片付け、当時通っていた伊良林国民学校の事が気になり、友人と様子を見に行きました。目に入ったのは、「水を下さい、水を飲ませて下さい」と弱り切った声で懇願している、男女の区別もつかないほど血だらけの人や上半身裸で傷を負った人でした。体育館に運び込まれた人たちは、誰かが手当てをしたり水を飲ませたりすることもなく、ただ寝かされているだけで、体育館の中は夏の暑さと漂う異臭で地獄のような状態でした。先程まで苦しさにわめいていた人が急に静かになったと思ったら、既に息絶えており、大人が頭と足を抱えて校庭に運び出し、穴を掘り、板の上に遺体を載せて焼いていきました。自分の学校が死体処理場に変わった光景は、今でも忘れることができません。

 あれから79年、私たち被爆者は健康不安に怯えながら、核廃絶を訴えて来ました。しかしながら、海外に目を向けると、ウクライナやパレスチナなど戦火は収まるばかりか泥沼化しており、多くの子供たちが命を落としています。この悲しい現実を目の当たりにして、戦争の愚かさから目をそらすことは出来ません。平和の尊さを痛感する毎日です。

 現在地球上には推定1万2120発の核弾頭が存在すると言われており、世界においては核兵器の使用が示唆されるなど、一触即発の緊張が続いています。万一使用されるとこの地球がとんでもない状態になる可能性さえあります。本日ご列席の岸田内閣総理大臣へ申し上げます。子供や孫たちが安心して過ごせる青い地球を遺(のこ)していくために、被爆国日本こそが、核廃絶を世界中の最重要課題として、真摯(しんし)に向き合うことを願ってやみません。

 私は、2015年から長崎平和推進協会の語り部として、長崎を訪れる修学旅行生や次世代を担う若者たちに核兵器の恐怖を語り続けており、2023年から英語による活動も始めました。平和とは何かを皆さんと一緒に考え、可能な限り続けてまいる所存です。最後に“peace  is  a  world  heritage  shared  by  all  humankind(平和は人類共有の世界遺産である)”と申し上げ、亡き御霊(みたま)へ捧(ささ)げる平和への誓いの言葉といたします。

2024年(令和6年)8月9日

被爆者代表 三瀬清一朗