修了式校長式辞「胴吹き桜」!!

 3月26日(木)登校日です。修了式も行えません。教室にいる立野っ子に放送で、校長からのメッセージを贈りました。

 今日は、立野の桜にちなんだ話です。

 

 

 

 

 式辞 「胴吹き桜(どうぶきざくら)」

 みなさんに多くの我慢と苦労を強いた3学期も今日で終わります。

 6年生の卒業証書授与式も無事に終わり、129名の卒業生が巣立っていきました。本来だったら大きな拍手と心温まる言葉で送られるはずであった卒業生は、在校生、保護者のみなさんに見送られることなく巣立っていきました。それでも、とても立派な式でした。立野小の6年生は最後まで頑張り抜きました。門出のことばも合唱も心を込めた頑張りました。何倍も何千倍も思いのあふれる式となりました。応援してくれた在校生のみなさん、ありがとうございました。

 さて、今日は修了式です。今年度の締めくくりのことばを贈ります。正門から入ると、左手に大きな桜の木が何本も並んでいます。どの木も立派に花を咲かせていますが、車椅子表示のあるあたりの木はことに立派です。大きく空に伸びた枝は、春の大空に枝を張って、満開の花を咲かせています。中に、木の胴体である幹から直接花を咲かせている木があることに気づきましたか。まるで花束のようです。枝から花が咲くのではなく、木の胴体から花が直接咲いています。

 これを「胴吹き桜(どうぶきざくら)」と呼びます。幹という胴体から直接芽が吹くから「胴吹き桜」と名付けられたのでしょう。桜の一生は60年と言われています。昔から人の一生と桜の木の一生は一緒だと言われています。「胴吹き桜」は歳をとった木、老木に見られる現象です。

 光を浴びたり、根から栄養を取ることが難しくなってくると、何とか命をつなごうと体が変化してくるというのです。本来は枝を伸ばし、そこから花を咲かせるべきところを、枝に使う養分をも惜しんで、直接幹から花を咲かせるというのです。

 しかもその花は、その木の中で一番早く咲き、一番遅くまで咲き誇ると言われています。命が尽き果てる時が近づいていることを知り、懸命に自分の命をアピールしているのかもしれません。まだまだ花を咲かせることができるのだと主張しているのかもしれません。

 「一矢報いる」という言葉があります。振り絞った力で最後の一本の矢を放ち、戦うことができるということです。

 私が今日お話したかったのは、人には底力があるということ。どんな境遇になっても、自分の花を咲かせることができるということです。焦らず、腐らず、進む力が備わっているということです。何かうまくいかなくなったときも、ちょっと力がなくなったと感じる時も、まだまだ力は備わっているということです。いつもの場所に花を咲かせることができなくてもいい。別の場所にひっそりと咲かせた花を美しいと感じてくれる人がいる、ということを忘れてはなりません。感動は人間の中にあるのではありません。人と人との間にあるのです。人との関わりを大切に思い、感謝あふれる人生を進んでほしいと願います。

 みなさんにお話をする機会をいただいた私の立野小の3年間も幕を閉じます。立野っ子の頑張りと活躍を少し遠くからいつも祈っています。立野小の「胴吹き桜」を時々思い出してください。どうかお元気で。力を込めて生きるのですよ。

 ありがとうございました。

 

<教室の様子>