旧倉松落(きゅうくらまつおとし)に架かる4連のアーチを持つレンガ造りの樋門(ひもん)です。 かつては、万延(まんえん)元年(1860)に木製の樋門が設置されていましたが、 明治23年(1890年)8月の洪水で壊れてしまいました。
そこで、幸松村の村長らが発起人となり、杉戸町、幸松(こうまつ)、堤郷(ていごう)、 八代(やしろ)、高野(たかの)村の一町五村が協力して、 工費3630円でレンガ造りの樋門として明治24年(1891年)6月に建設されました。 現存するレンガ造り樋門としては県内で2番目に古いものとなっています。
建設当時は、「倉松落大口逆除(くらまつおとしおおぐちさかよけ)」と呼ばれており、 建設の経緯を記した倉松落大口逆除之碑が橋のたもとの倉松公園内に残されています。
規模は、長さ(川幅)約10メートル、幅(川流方向の長さ)約5メートル、アーチ径約1.9メートル、 翼壁(よくへき)(下流部のみ残存)3.5メートルとなっています。 欄干など上部は改変されていますが、下部構造は建設時のままです。 特に左岸の壁面(翼壁)の上部はレンガの角の部分をのこぎり状に装飾した「角出し(かくだし)」と 呼ばれる装飾が施されています。
当初は、大落古利根川(おおおとしふるとねがわ)からの幸手領(さってりょう)悪水路(あくすいろ) 倉松落への逆流を防止するため、樋門としての機能を有していましたが、 倉松落が昭和8~15年(1933年~1940年)の付替えにより中川へ落とされるようになると 樋門としての役割を終え、「めがね橋」の名称として現用の道路橋として利用されています。
市域の代表的なレンガ造り樋門として保存状態がよく、建設の経緯を記す石碑「倉松落大口逆除之碑」と 共に貴重な近代化遺産となっています。
※見学の際には、自動車や他の歩行者に注意してください。
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