粕壁南公民館のみどころ シリーズ⑦(最終回) 日本庭園
これだけの日本庭園があるのは市内では当館だけです。もともと、当館が立っていた場所には「赤堀池」という池があったので、その名残りをとどめるために池が施されています。
当館に残る池の解説には以下が記されています。
崇連寺池(赤堀池)の史跡
・崇連寺(浄土宗)
江戸時代明暦年間、粕壁宿の関根太兵衛が、妻の菩提を弔うため、赤堀池の畔に蓮池庵を建立
したのが開基、往時の参道は旧日光街道まで達した。
・池(旧名 赤堀池)
赤堀池にまつわる大蛇伝説にもとづき、毎年ねんごろに池供養が修された。畔に建てられた閻
魔堂とともに長い念仏信仰の歴史がある。
このたび崇連寺池を埋立て、春日部コミュニティセンターを建設するに際し、池跡の一部を新
池としてその名残を留めるものとする。
昭和五十六年七月
春日部市
また、「春日部市の文化財」(昭和54年12月1日発行)には、以下の記述があります。
崇連寺(粕壁)
浄土宗普照山念仏院と号す無住の寺。市の共同墓地となっている。寺の前には古池があった。
新編武蔵風土記稿に「この寺は岩槻の浄国寺の末寺で、昔当宿(元新宿)の人関根太兵衛といへ
るものの妻いかなる故にや当寺の前なる池に溺死せり、太兵衛是を憐み菩提の為一庵を建立し
て蓮池庵と名付、其後願ひ上げて一寺とせしと、其年代定かならざれどかの妻明暦2年
(1656)7月9日死せしよしを伝は其頃の事なるべし、法合普照院華屋蓮信女と称す」と記さ
れている。
◎伝説
元新宿に関根太兵衛という者がいた。妻は新川村の白石家から嫁に来たが、蛇の霊に取り付
かれ、毎夜崇連寺池に身を沈めていた。毎夜濡髪をかわかす妻の様子に不審をいだいた太兵
衛が、ある夜家を抜け出した妻のあとを追うと、妻の姿は崇蓮寺池の前で消えてしまった。
彼は戻って妻の部屋をうかがっていると、やがて帰ってきた妻は濡れた髪をかわかし始め
た。彼は思わず、「正体見届けたぞ。」と叫んだ。この声を聞くと妻は家を飛び出した。彼
はあとを追った。池のそばまで来た妻は蛇体と変わり池の中に消えた。池の水はたちまち赤
色に変わった。それからこの池は赤堀池というようになった。
太兵衛稲荷というのが元新宿にある。今も有志によって祭りが行われている。
今はこの庭は利用者の皆さんの心の安らぎとして、また、水浴びのために訪れる様々な野鳥の憩いの場となっています。