生きて働く真の「学力」を求めて
15歳の「内省」
校長 杉橋 朋子
11月は校内でも文化的な行事があり、文化・芸術にふれる機会が多い。私は、生徒の
見聞きするものは、できるだけ質の高い文化・芸術であってほしいと思っている。
文化の秋というが、残念なことに、東京で開催される美術展などに出かけても、中学生
・高校生の姿はほとんどない。我孫子は、電車1本でも出かけられるという地の利を得て
いても・・・である。本物に遭遇できるチャンスというのに・・・である。
そうなるとますます、学校での文化活動は、その質の高さを求めていかねばならないだ
ろう。そういうわけで、私は、先月末に行われた合唱祭が終わったあと、生徒たちがこの
取組をどのようにとらえているのかに大いに興味を持った。それは、本校教育のレベルの
バロメーターだからである。
さっそく、3年生が書いた文章が校長室に届いていた。目にとまった一人の文章。実に
考えさせられた。 「人の心の動かし方」という視点で書かれたものだった。
「中学校3年生としては、人の心の動かし方といいますか、そんな感じのことがわかった
がします。」と書かれたその文章には、悪戦苦闘した練習の日々の様子が凝縮されてい
た。合唱が好きでない人に対して、どう声をかければよいか、その人が嫌な気持ちになら
ずに、素直に好きになってくれるか・・・」「うまく相手に伝える方法」のようなことが学べた
と。「いつも男子が」と責めてしまっていたけれど・・・と本人は振り返っていた。自分の在り
ようにきちんと向き合って、内省するこの生徒の姿に、巣立つに必要な力量を体得してき
ているという実感。
「卒業」する日は近い。3年生、最終章だ。しっかり「社会人」となる最後の勉強として
「自分」との格闘を最後まで続けてほしい。