2の習慣

 終わりを思い描くことから

始める

パーソナル・リーダーシップの原則

我々の後ろにあるもの(過去)と我々の前にあるもの(未来)は、我々の内にあるものに比べればとるに足らないものである。

…オリバー・ウェンデル・ホームズ

 このページと次のページは、邪魔が入らず一人になれる場所で静かに読んでほしい。これから紹介すること以外は頭の中を空っぽにし、日常生活の細々とした用事も、仕事や家族、友達のことも忘れ、意識を集中し、心を開いて読んでもらいたい。

 

 ある(愛する人の)葬儀に参列する場面を心の中に思い描いてみよう。あなたの葬儀場に向かって車を走らせ、駐車して車から降りる。中に入ると花が飾ってあり、静かなオルガン曲が流れている。故人の友人たちや家族が集まっている。彼らは別れの悲しみ、そして個人と知り合いであったことの喜びをかみしめている。

 あなたは会場の前方に進んでいき、棺桶の中をみる。驚いたことに、そこにいたのはあなた自身だった。これは、今日から三年後に行われるあなたの葬儀だ。ここにいる人々は、生前のあなたに対する敬意、愛、感謝の気持ちを表しに来ているのである。

 あなたが席に着き、式が始まるのを待ちながら手にした次第をみる。四人が弔辞を述べるようだ。最初は、親族を代表して、各地から集まってきた子ども、兄弟姉妹、姪、おば、おじ、いとこ、祖父母から一人。二人目は友人の一人で、あなたの人柄を知っている人。三人目は仕事関係の人。最後は、あなたが奉仕活動を行ってきた教会や自治会などの組織から一人。

 ここで深く考えてほしい。これらの人たちに、あなた自身あるいはあなたの人生をどのように語ってほしいだろうか。彼らの言葉で、あなたがどういう夫、妻、父、母だったと述べてほしいだろうか。彼らにとって、あなたはどのような息子、娘、あるいはいとこだったのか、どのような友人だったのか、どのような友人だったのか、どのような同僚だったのか。

 あなたは、彼らに自分がどのような人物だったのかを見てほしかったのか。どういう貢献や功績を覚えておいてほしいのか。その場に集まっている人たちの顔をよく見てもらいたい。彼らの人生に、あなたはどのような影響を及ぼしたかったのだろうか。

 読み進める前に感じた事、考えてみると、第2の習慣をより深く理解することができるだろう。

終わりを思い描くことから

始めるとは?

 自分の葬儀の場面を真剣に思い描いてみて、あなたは一瞬でも、自分の内面の奥深くにある基本的な価値観に触れたはずだ。それはあなたの内面にあって影響の輪の中心にある。あなたを導く価値観と、束の間でもふれあったのである。

 第2の習慣(終わりを思い描くことから始める)は生活のさまざまな場面やライフステージに当てはまる習慣だが、もっとも基本的なレベルで言うなら、人生におけるすべての行動を測る尺度、規準として、自分の人生の最後を思い描き、それを念頭に置いて今日という一日を始めることである。そうすれば、あなたにとって本当に大切なことに沿って、今日の生き方を、明日の生き方を、来週の生き方を、来月の生き方を計画することができる。人生が終わる時をありありと思い描き、意識することによって、あなたにとってもっとも重要な基準に反しない行動をとり、あなたの人生のビジョンを有意義なかたちで実現できるようになる。

 終わりを思い描いてから始めるというのは、目的地をはっきりさせてから一歩を踏み出すことである。目的地がわかれば、現在いる場所のこともわかるから、正しい方向へ進んでいくことができる。

 仕事に追われ、「活動の罠」に人はいとも簡単にはまってしまう。成功への梯子をせっせと登っているつもりでも、一番上に到達した時に初めて、その梯子は間違った壁に掛けられていたことに気づく。結局は全く効果のない、多忙極まりない日々を送っていることが大いにありうるのだ。

 人は虚しい勝利を手にすることがよくある。成功のためにと思って犠牲にしたことが、実は成功よりもはるかに大事なものだったと突然思い知らされる。医師、学者、俳優、政治家、会社員、スポーツ選手、配管工、どんな職業においても、人は、もっと高い収入、もっと高い評価、もっと高い専門能力を得ようと努力するが、結局、自分にとって本当に大切なものを見失い、とり返しのつかない過ちを犯したことに気づくのだ。

自分にとって本当に大切なものを知り、それを頭の中に植え付け、そのイメージ通りになるように日々生活していれば、私たちの人生はまるで違ったものになるはずだ。梯子を掛け違えていたら、一段登るごとに間違った場所に早く近づいていくだけである。あなたはとても能率よく梯子を登るかもしれない。上手に素早く登れるかもしれない。しかし、終わりを思い描くことから始めてこそ、本当に効果的になりうるのだ。

 自分の葬儀で述べてもらいたい弔辞を真剣に考えてみてほしい。それがあなたの成功の定義になる。これまで思っていた成功とは全く違うかもしれない。名声や業績を努力して手にすること、あるいは金持ちになることを成功だと思っているかもしれない。しかし、梯子を掛けるべき正しい壁の端っこですらないかもしれないのだ。

 終わりを思い描くことから始めると、目の前にこれまでとは違う視野が広がる。二人の男性が共通の有事の葬儀に出席していた。一方の男性が「彼はいくら遺したんだい?」と尋ねた。もう一人は思慮深く答えた。

「すべて遺したさ、彼自身をね」

すべてのものは二度つくられる

「終わりを思い描くことから始める」習慣は、全てのものは二度つくられるという原則に基づいている。すべてのものは、まず頭の中で創造され、次に実際にかたちあるものとして想像される。第一の創造は知的創造、そして第二の創造は物的創造である。

家を建てることを考えてみよう。家の設計図が隅々まで決まっていなければ、釘一本すらうつことはできない。あなたはどんな家を建てたいか頭の中で具体的にイメージするはずだ。家族を中心にした住まいにしたいなら、家族全員が自然と集まるリビングを設計するだろうし、子どもたちには元気よく外で遊んでほしいなら、中庭をつくり、庭に面した扉はスライド式にしようと思うかも知れない。ほしい家をはっきりと思い描けるまで、頭の中で創造を続けるだろう。

 次に、思い描いた家を設計図にし、建築計画を立てる。これらの作業が完了してようやく工事が始まる。そうでなければ、実際に物的につくる第二の創造の段階で次から次へと変更が出て、建設費用が二倍に膨れ上がることにもなりかねない。

「二度測って一度で切る」が大工の鉄則だ。あなたが隅々まで思い描いていた本当に欲しい家が、第一の創造である設計図に正確に描けているかどうか、よくよく確認しなければならない。そうして初めて、レンガやモルタルで形を想像していくことができる。毎日建設現場に足を運び、設計図を見て、その日の作業を始める。終わりを思い描くことから始めなければならないのである。

 ビジネスも同じだ。ビジネスを成功させたいなら、何を達成したいのかを明確にしなければならない。ターゲットとする市場に投入する製品やサービスを吟味する。次は、その目的を達成するために必要な資金、研究開発、生産、マーケティング、人事、設備などのリソースを組織する。最初の段階で終わりをどこまで思い描けるかが、ビジネスの成功と失敗の分かれ道になる。失敗する企業のほとんどは、資金不足、市場の読み違い、事業計画の甘さなど、第一の創造でつまずいているのである。

 同じことが子育てにも言える。自分に責任を持てる子に育てたいなら、そのことを頭において毎日子どもと接する。そうすれば、子どもの自制心を損なったり、自尊心を傷つけたりすることはないはずだ。

 程度の差こそあれ。この原則は生活のさまざまな場面で働いている。旅行に出るときには、行き先を決めて最適なルートを計画する。庭をつくるなら,植物をどのように配置するか頭の中で想像を巡らすだろうし、紙にスケッチする人もいるだろう。スピーチをするなら、事前に原稿を書く。都市の景観を整備するなら、どんな景観にするか青写真をつくる。服をつくるときは、針に糸を通す前にデザインは決まっている。

 すべてのものは二度つくられるという原則を理解し、第二の創造だけでなく第一の創造にも責任を果たすことによって、私たちは影響の輪の中で行動し、影響の輪を広げていくことができる。この原則に反して、頭の中で思い描く第一の創造を怠ったなら、影響の輪は縮んでいく。

書くか委ねるか

 すべてのものは二度つくられる。これは原則である。しかし第一の創造が常に意識的に行われているとは限らない。日々の生活の中で自覚を育て責任をもって第一の創造を行えるようにならなければ、自分の人生の行き方を影響の輪の外にある状況や他の人たちに委ねてしまうことになる。家族や同僚から押し付けられる脚本通りに生き、他者の思惑に従い、幼い頃に教え込まれた価値観、あるいは訓練や条件づけによってできあがった脚本を演じるという、周りのプレッシャーに反応するだけの生き方になる。

 これらの脚本は他者が書いているのであって、原則から生まれたものではない。私たちの内面の奥深くにある弱さと依存心、愛されたい、どこかに属していたい、ひとかどの人物とみられたいという欲求に負けて、他者が押し付ける脚本を受け入れてしまうのだ。

 自分で気づいていようといまいと、また、意識的にコントロールしていようといまいと、人生のすべてのことに第一の創造は存在する。第一の創造によって自分の人生を自分の手で描く。それが出来れば、第二の創造で主体的なあなたができる。しかし第一の創造を他者に委ねてしまったら、あなたは他者によってつくられることになる。

 人間だけに授けられている自覚、想像、良心という能力を働かせれば、第一の創造を自分で行い、自分の人勢の脚本を自分で書くことができる。言い換えれば、第一の習慣が言っているのは「あなたは創造主である」であり、第二の習慣は「第一の創造をする」習慣なのである。

シップとマネジメント:2つの創造

 第二の習慣は、自分の人生に自らがリーダーシップを発揮すること、つまりパーソナル・リーダーシップの原則に基づいている。リーダーシップは第一の創造である。リーダーシップとマネジメントは違う。マネジメントは第二の創造であり、これについては第三の習慣で取り上げる。まずは、リーダーシップがなくてはならない。

 マネジメントはボトムライン(最終的な結果)にフォーカスし、目標を達成するための手段を考える。それに対してリーダーシップはトップライン(目標)にフォーカスし、何を達成したいのかを考える。ピーター・ドラッカー(訳注:米国の経営学者)とウォーレン・ベニス(訳注:米国の経営学者)の言葉を借りるなら、「マネジメントは正しく行うことであり、梯子が正しい壁に掛かっているかどうかを判断するのがリーダーシップである。

 ジャングルの中で、手斧で道を切り拓いている作業チームを考えれば、リーダーシップとマネジメントの違いがすぐにわかるだろう。作業チームは生産に従事し、現場で問題を解決する人たちだ。彼らは実際に下草を刈って道を切り拓いていく。

 マネジメントの役割はその後方にいて、斧の刃を研ぎ、方針や手順を決め、筋肉強化にトレーニングを開発し、新しいテクノロジーを導入し、作業スケジュールと給与体系をつくる。

 リーダーの役割はジャングルの中で一番高い木に登り、全体を見渡して、「このジャングルは違うぞ!」と叫ぶ。

 だが仕事の役割に追われて、効率しか見えない作業チームやマネージャーだったらその叫び声を聞いても、「うるさい!作業は進んでいるんだから黙ってろ」としか反応しないだろう。

 私生活でも仕事でも、私たちは下草を刈る作業に追われるあまり、間違ったジャングルにいても気づかないことがある。あらゆる物事が目まぐるしく変化する現代においては、個人や人間関係のあらゆる側面においても、これまで以上にリーダーシップの重要性が増している。

 私たちに必要なのは、はっきりとしたビジョン、明確な目的地である。そしてその目的地に到達するためには、ロードマップよりもコンパス(方向を示す原則)が要る。地形が実際にどうなっているのか、あるいは通れるのかは、その場その場で判断し問題を解決するしかない。しかし、自分の内面にあるコンパスを見れば、どんなときでも正しい方向を示してくれるのである。

 個人の効果性は単に努力の量だけで決まるのではない。その努力が正しいジャングルで行われていなければ、生き延びることさえおぼつかなくなる。どの業界をとっても変革を求められている現代にあって、まず必要とされるのはリーダーシップである。マネジメントはその次だ。

 ビジネスの世界では市場が目まぐるしく変化し、消費者の嗜好やニーズをとらえて大ヒットした製品やサービスがあっという間にすたれることも珍しくない。主体的で強力なリーダーシップによって絶えず消費者の購買行動や購買意欲など市場環境の変化を機敏にとらえ、正しい方向に経営資源を投じるのだ。

 航空業界の規制緩和、医療費の急上昇、輸入車の品質向上と輸入量の激増。様々な変化が事業環境に大きな影響を及ぼしている。企業が事業環境全体を注視せず、正しい方向に進んでいくための創造的リーダ―シップを発揮しなかったなら、マネジメントがいかに優れていても、失敗は避けられない。

 効率的なマネジメントは揃っているけれども効果的なリーダーシップのない状態は、ある人の言葉を借りれば「沈みゆくタイタニック号の甲板に椅子をきちんと並べるようなもの」である。マネジメントのパラダイムに捉われてしまうため、リーダーシップを発揮するのが難しくなってしまうのだ。

 あまりに多くの親が、マネジメントのパラダイムにとらわれている。方向性や目的、家族の想いより、能率・効率やルールにとらわれている。

 個人の生活ではよりリーダーシップが不足している。自分自身の価値観を明確にする前に、能率よく自己管理や目標達成に取り組んでしまうのだ。

本を書き直す:

あなた自身の第一の創造者となる

 前に述べたように、主体性の土台は「自覚」である。主体性を広げ、自分を導くリーダーシップを発揮できるようにするのが、想像と良心である。

 想像力を働かせること、まだ眠っている自分の潜在能力を頭の中で開花させられる。良心を働かせれば、普通の法則や原則を理解し、それらを身につけ実践するための自分自身のガイドラインを引ける。自覚という土台に想像と良心を乗せれば、自分自身の脚本と書く力が得られるのである。 

 私たちは他者から与えられた多くの脚本に従って生活しているから、それらの脚本を「書き直す」よりもむしろ「書き起こす」プロセスが必要であり、あるいはすでに持っている基本のパラダイムの一部を根本的に変える、つまりパラダイムシフトしなければならないのだ。自分の内面にあるパラダイムは不正確だ、あるいは不完全だと気づき、今持っている脚本に効果がないことがわかれば、自分から主体的に書き直すことができるのだ。

 終わりを思い描くことから始めるというのは、親としての役割、その他にも日々の生活で様々な役割を果たすときに、自分の価値観を明確にし、方向をはっきりと定めて行動することである。第一の創造を自分で行う責任があるのであり、行動と態度の源となるパラダイムが自分のもっとも深い価値観と一致し、正しい原則と調和するように自分で脚本を書き直すことである。

個人のミッション・ステトメント

 終わりを思い描くことから始める習慣を身につけるには、個人のミッション・ステートメントを書くのがもっとも効果的だ。ミッション・ステートメントとは、信条あるいは理念を表明したものである。個人のミッション・ステートメントには、どのような人間になりたいのか(人格)、何をしたいのか(貢献、功績)、そしてそれらの土台となる価値観と原則を書く。

 一人ひとり個性が異なるように、個人のミッション・ステートメントも同じものは二つとない。形式も中身も人それぞれである。

 個人のミッション・ステートメントも正しい原則を土台としていれば、その人にとって揺るぎない基準となる。その人の憲法となり、人生の重要な決断をくだすときの基礎となる。変化の渦中にあっても感情に流されずに日々の生活を営むよりどころとなる。それは、不変の強さを与えてくれるのだ。

 内面に変わることのない中心を持っていなければ、人は変化に耐えられない。自分は何者なのか、何を目指しているのか、何を信じているのかを明確に意識し、それが変わらざるものとして内面にあってこそ、どんな変化にも耐えられるのである。

 ミッション・ステートメントがあれば、変化に適応しながら生活できる。予断や偏見を持たずに現実を直視できる。周りの人々や出来事を型にはめずに、現実をありのままに受け止めることができるようになる。

 私たち一人ひとりを取り巻く環境は常に変化し、しかも変化のスピードはかつてないほど増す一方だ。多くの人は変化の速さに圧倒され、とてもついていけないと感じている。自分の身に良いことが起きるようにとひたすら祈りながら受け身の姿勢になっており、適応するのを諦めている。

 あなたが自分の人生におけるミッションを見出し、常識であれば、あなたの内面に主体性の本質ができる。人生を方向付けるビジョンと価値観ができ、それに従って長期的・短期的な目標を立てることができる。個人のミッション・ステートメントは、正しい原則を土台とした個人の成文憲法である。この憲法に照らして、自分の時間、才能、労力を効果的に活用できているかどうかを判断することができるのだ。