3.11東日本大震災についての校長講話
本日3月11日は、9年前に東日本大震災が発生した日であることはご承知おきのことと思います。本来、臨時休業がなければ、校長から全校生に対し、この震災についての講話がある予定でした。それができないので、予定していた講話の内容を以下に掲載します。
今から9年前の今日の話です。
平成23年3月11日(金)14:46「平成23年東北地方太平洋沖地震」通称「東日本大震災」が発生。
玉川村では 震度6弱の揺れを観測。玉川村内では亡くなれられた方いませんが、住宅等に多くの被害が出ました。県内では、地震やその後の津波で1700名余りの方が亡くなりました。これを東北地方で見てみると、亡くなられた方は1万6千名余り、行方不明の方が2千500名余りで、その多くが津波によるものでした。
このように、多くの方の尊い命が奪われてしまったことは忘れてはなりません。
皆さんも怖い思いをした人が多くいたと思います。今の6年生でも小学校に上がる前です。
校長先生も、別の学校で子どもたちと一緒に勉強をしている時でした。いつもよりも長くて大きな揺れがずっと続きました。その間に、放送で机の下に入るように指示したり、校内の様子を見に行ったりしましたが、正直に言うと校長先生もとても怖かったです。これから何が起こるのだろうと思いました。
その学校でも窓ガラスが割れたり、図書室の本が棚から全部落ちたり、学級でかっていた金魚の水槽がわれて、水浸しになったり、本当にいろいろなことが起こりました。電気やガス、水道が止まってとても不便な生活も経験しました。車のガソリンがなくて、ガソリンスタンドに長い行列ができたのもこの時です。きっとみんなの家でも不自由な生活をしたでしょう。とても大変な日々が続きました。
しかし、この時程、人間のすばらしらや誇りを感じたこともありませんでした。
被災地に多くのボランティアの人が入って復興のお手伝いをしたり、被害に遭った人同士で助け合って生活したり、日本全国から様々な救援の物資が届いたり、はげましの手紙やメールが届いたり、とてもの多くの温かい心、優しい心が見られました。
また外国ではこういう時、食べ物がくばられる時など列に並ばず、我先にと物の奪い合いが起こったり、壊れたお店から商品を奪ったり、とても恐いことが起こるそうです。日本はこれだけの大きな災害が起こっても、そういうことは一切なかったことが、外国の人から見ると非常にすばらしい事だと、賞賛を受けました。これは日本人としての誇りですね。
震災から9年たった今、私たちの生活もほぼ元どおりに戻ってきました。しかし、県内にはまだ自分の家に帰れずに避難生活を続けている方も多くいます。震災の時の原子力発電所の事故により放射能で汚染された地区の方々です。9年の間、本来の自分の家に帰れず、家族でバラバラで暮らすという人も少なくありません。
福島のお米や野菜等の農産物や魚や貝、海藻など海産物について「放射能汚染で食べたら危ない」等の風評に苦しむ再生産者も少なくはありません。
そういう人たちの苦労を私たちは忘れてはいけないと思います。
最後に、福島県に生まれた私たちは、この災害を忘れず、この災害に負けずに立ち直ってきた福島県を誇りに感じ、自分ができることをしっかりやっていきましょう。
がんばれ!ふくしま! まけるな!ふくしま!