「自分に恥じない 誇りある生き方」
みなさんが運動面でも、文化面でも頑張っている姿を見るたびに、うれしさと喜びで胸がいっぱいになります。本校の「文武両道の教育」が着実に実践されていることに誇りを感じます。
さて、今日は「自分に恥じない 誇りある生き方」についてお話をしたいと思います。私たち人間は、心に弱さや醜さをもっています。自分に自信がもてなかったり、劣等感にさいなまれたり、人をねたみ、恨み、うらやましく思ったりすることがあります。これらは「心の悪玉」といわれるものです。
一方で、私たち人間は、その弱さや醜さを克服する強さや気高さがあります。誰でも生きる喜びに気付いたとき、自分を奮い立たせ、誇りある生き方をしようとします。生きる喜びとは、人からほめられたり、認められたりすという喜び、人間として共に生きていくことへの深い喜びです。これらは「心の善玉」といわれるものです。
これらの「心の悪玉」を減らし、「心の善玉」を増やしていけるよう、自分を奮い立たせて、人間として生きることの喜びを見いだしてほしいと思います。ここで、中学2年生が書いた「わたし」という詩を紹介します。
わたし
「かわったね」
むかしの友達に言われるたびに、うれしくなるわたし
「いままでのわたし」は、いつも楽な方へ流され
わがままで友達も少なかった
「これじゃいけない」
そう思ったのは、6年生のとき
わたしは、少しずつ変身していくことを決心した
中学に進学することによって
わたしの心も考えも
困難をひとつひとつ乗り越えていこうと誓った
たくさんの人に出会い
たくさんの考えや生き方を知り
たくさんの悩みをかかえて一年が過ぎ
「いまのわたし」がいる
「いまのわたし」は、まだ完全じゃない
時々、「いままでのわたし」が顔を出す
そんなとき、「いまのわたし」が顔をひっこめる
少し後悔しながら・・・
これからはもっとたくさんの人と出会い
もっとたくさんの考えや生き方を知り
もっとたくさんの悩みをかかえながら
困難を乗り越え、生きる喜びを感じたい
そして、わたしのまわりにいる人に感謝しながら
「いまからのわたし」を育てていきたい
(中学校『心のノート』p72)
この詩の中に出てくる「わたし」は、「心の善玉」を増やし、「自分に恥じない 誇りある生き方」を歩み始めています。みなさんも「いままでのわたし」を抜け出し、「いまのわたし」を一歩向上させ、「いまからのわたし」を育てていってほしと思います。