学校長の窓

1. 平成27年6月  朝会

投稿日時: 2015/06/04 益子中学校


「声楽家 新垣 勉さんの生き方に学ぶ」    H27.6.3    朝会

 今日は、新垣さんの話をしたいと思います。新垣さんと言えば、皆さんは、モデルで女優の新垣結衣さん(写真)を思い浮かべると思います。新垣結衣さんはすてきですよね。先生も新垣結衣さんが大好きですが、もっと好きで尊敬している新垣さんがいます。それは、この人、新垣 勉(写真)さんです。

 それでは、新垣 勉さんはどんな人か、CDを聴いてください。(芭蕉布を聴く)

 これはテノール歌手の新垣 勉さんが歌っている沖縄の曲「芭蕉布」という曲です。新垣さんは、1953年沖縄読谷村に生まれました。現在62歳です。お父さんは、アメリカ兵、お母さんが日本人のハーフとして生まれました。当時の沖縄では、アメリカ軍人と日本人との結婚は珍しくはなかったそうです。ただ、新垣さんが他の人と違っていたことは、生まれた時に助産師さんが、目薬と間違って劇薬を両目にさしてしまい、失明してしまったことです。
 新垣さんの不幸は、このときから始まりました。新垣さんが生まれると同時に、お父さんはアメリカに帰国し、お母さんは再婚して家を出てしまいました。新垣さんはおばあちゃんに育てられました。目が見えない、そしてハーフということで、すごくいじめられたそうです。自分のような不幸な人間は、世の中にいなくてもいいと自殺まで考えたそうです。お父さん、お母さん、助産師さんを見つけて出して、気の済むまでなぐってやりたい、一生許さないと思ったそうです。でも、目の見えない新垣さんは、何もできませんでした。
  中学時代におばあちゃんがなくなり、一人になってしまった新垣さんは、城間さんという牧師さんの家に引き取られ、家族の一員として育てられました。
  憎むべきお父さんやお母さん、助産師さんに対する気持ちが変わったのは、大学受験のために歌の勉強をしていたときのことでした。声楽の先生に、「君の声は、日本人離れた明るくすばらしい声をしているね。」と言われ、自分の生い立ちを話したそうです。すると声楽の先生は、「それは、お父さんに感謝しなければならない。この声は、いくら努力しても手に入るものではない。君の宝だよ。」と、おっしゃったそうです。この言葉を聞いた新垣さんは、それまではお父さんが大嫌いで、「ハーフ」と言う自分も大嫌いでした。しかし、声楽の先生の言葉で「お父さんのおかげでこの声がある。お父さんからいたからこそ、良い声が出るこの体を授けてもらい、今の自分がいるのだ。」と、自分の気持ちがマイナスからプラス思考に変わりました。さらに先生から「この声は、神様から与えられたあなただけの楽器です。だからしっかり磨いていきなさい。」と言われ、一生懸命声楽の勉強をしたそうです。そして今、日本各地で演奏会や講演会を開いています。
  皆さんは、物事がうまくいかないことがあったときは、人のせいにしてはいないでしょうか。例えば、テストの点数が悪かった、部活動でよい成績が残せなかった、顔のこと、体のこと、性格のことなど、それは、親が悪いから、先生が悪いから、後輩が悪いから、友達が悪いからなどと、人のせいにしてはいないでしょうか。新垣さんは言っています。「自分ができないことやだめなことを人のせいにしては、何もいいことは生まれません。自分の力でマイナス面をプラス面に変えると、全く違う世界が生まれます。」さらに、「私にしかできない自分に与えられた声という楽器を使って、自分でしか生きることができない人生を、これからも歌い続けたい。」と言っています。
 皆さんも新垣さんのように、今与えられた環境の中で、たとえそれが悪くてもだめであっても、それを人のせいにしないで、自分の力でマイナスをプラスに変え、今、自分にできる最大の努力をしてほしいと思います。
 今日は、私が大好きで尊敬する、声楽家の新垣 勉さんの生き方についてお話をしました。