校長室より

お天道様が見ている

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

7日の3学期始業式で私は「お天道様が見ている」のお話をしました。今の子供達は恐らくこのお天道様という言葉自体をほとんど耳にしたことはないと思います。

私はこの言葉の影響から幼い頃は、いつもどこにいても空から神様が見ているんだと思っておりました。周りに誰一人いなくても自分なりに良いことをしていると思った時は「どうぞ、神様(お天道様)見ていて下さい。」と口ずさんだものです。また、悪いことをしそうになった時(実は色々と悪戯等は沢山しているのですが・・・)は、「どうぞ、お天道様許して下さいね。」と祈ったこともありました。

 私の体験談は、次のようなことです。

小学生の低学年のある日、田舎のお爺ちゃんの家に泊まりがけで遊びに行った時のことです。お爺ちゃんの家は農家でした。畑で野菜や花を大事に育てていました。私は、昼間夢中になって田舎の広い庭を走り回っていました。翌日の朝ご飯の時、お爺ちゃんから突然に「悟、お前はきのう畑で遊んでいたな。」「遊んでいたよ」「花を踏まなかったか」「うーん、わからない」と言いました。私は本当に花を踏んだかどうかは、夢中に走り回っていただけに自分でも分かりませんでした。そして、静かにこう言ったのでした。「爺ちゃんは見ていなくても、お天道様が見ているんだぞ」

私はお爺ちゃんの言っている意味が分からず、後で母親に聞きました。

「お母さん、お天道様が見ているってどういうこと」

「それはね、人間はみんな良い心と悪い心の両方を持っているのよ。もし、悪いことをした時に周りに誰もいなくても空の上の太陽、つまりお天道様は必ずあなたの行いをしっかりと見ているのよ。お天道様とは神様のことよ

私はこんなに怖いことはないと思いました。私の行いを全て見ているなんて。
 

あれから50年ちかく経ちました。

自分の中にもう一人自分を冷静に見つめる神様を作ることは大事だなと今でも思います。

一小の子供達には、「どんな時も神様が見ているから、神様に恥じない生き方をしていきたいですね」と最後に言って結びました。