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NO.3 我が白浜小は永久に不滅です・・・。

 6月3日(火)午前6時39分に、長嶋茂雄さん(89)がご逝去されました。「ミスター」という愛称で呼ばれ、巨人を野球ファンから愛される強いチームにした1人です。そんな長嶋さんの選手や監督時代に残されたエピソードをお話したいと思います。

 

1 長嶋茂雄さんプロフィール 

・千葉県印旛郡臼井町(現:佐倉市臼井)出身のプロ野球選手(内野手、右投右打)・監督。

・読売ジャイアンツ終身名誉監督、株式会社読売巨人軍専務取締役。

 日本プロ野球名球会顧問、ジャイアンツアカデミー名誉校長。

・愛称は「ミスタープロ野球」「ミスタージャイアンツ」「ミスター」

 

2 バットを持たずに打席へ・・・。 

 1968年5月11日の中日戦での出来事です。2死二塁の場面で相手ベンチが敬遠策をとった際、カウント2-0になるとバットを持たずに打席に立って抗議しました。

「敬遠は嫌いでした。お客さんは敬遠を見に来ているんじゃない、バットを振るのを見に来ているんだ。」

 1971年6月17日の広島戦でも同様に、3ボールの時点でバットを放り投げ、素手で構えたということがりました。

 この言葉には、「エンタテイナーな人だな。」と思いました。試合を観に来ている人は、勝負するところを観に来ているので、敬遠で勝負から逃げることは望んでいませんよね。子供たちにも『勝負から逃げること=嫌なことから逃げる』を日々の学校生活で伝えていければと思います。

3 「魅せる」プレーとドラマ性 

 ただ打つだけでなく、空振りさえもファンを沸かせる豪快なスイングやプレーをしていました。ヘルメットが飛ぶほどの振り切りや、全身で喜怒哀楽を表現する姿は、ファンの心をつかんだそうです。野球解説者の中には「凡退でさえエンターテインメントにしてしまう唯一無二の選手。」と言われていたそうです。実際に1959年に昭和天皇が観戦した「天覧試合」で延長サヨナラホームランを打ったエピソードは、活躍を象徴する名シーンでした。そうしたドラマチックな瞬間が積み重なり、多くの人に「記録だけでは計れない魅力」を強く印象づけたそうです。

  他にも数々のエピソードがあります。そんな長嶋茂雄さんが亡くなられて悲しんでいる人がたくさんいると思いますが、数々のエピソードや伝説を調べてみて、みなさんの今後の人生にいかせればと思い、ブログに記載しました。心から長嶋茂雄さんのご冥福をお祈りいたします。