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校長室のひとりごと「9.11」

「9.11」。2001年9月11日にアメリカ同時多発テロ事件が起きました。ハイジャックされた旅客機が、ニューヨークのワールドトレードセンターやアメリカ国防総省本庁舎(ペンタゴン)に激突しビルが倒壊するという余りにも衝撃的な映像、どちらも23年も前のことですが、私には今もなお鮮明に記憶に残っています。
 翌2002年2月には米ソルトレークシティでの冬季五輪が控えていたため、冬の競技団体には、出場権を争うシーズンが始まろうとしている矢先の出来事です。当時、縁あってスケルトン(ボブスレー競技)チームの代表コーチだった私にとっても他人事ではなくなってしまいました。状況が状況なだけに各国のチームがアメリカへの遠征を中止したり、日本でも各競技団体は海外渡航を見合わせるよう各チームに指示が出されました。五輪出場枠に影響するシーズン、大会が開催されれば出場しないわけにはいかない我々は、選手、スタッフそれぞれ、家族と相談し、連盟からの派遣ではなく、あくまで個人の判断で出国という決意をしました。「自己責任で…」などという念書を書いた記憶があります。
 事件の影響が一向に治まらない9月下旬、最初の遠征地はカナダのカルガリー。次の目的地はニューヨーク州のレークプラシッド、空港は厳戒態勢、アメリカに入国できるかもわかりません。そこで他国のチームと合流し、同じカナダ国内モントリオールまで飛行機で移動し、陸路で国境に向かい、他国の選手たちの助けもあり無事入国、レークプラシッドまで移動したことを覚えています。とにかく2001ー2002シーズンは異常でした。
 時は2002年2月、ソルトレークシティ五輪開会式当日。テロリストの次なる標的は、当時のブッシュ大統領も参加する開会式だとも噂されていました。各国選手団は開会式の入場準備のためメイン会場の外に待機。軍の怖いほどの厳重警備の中、開会式が始まろうとしているその時、「一斉に爆発音が…」選手たちは皆、頭を抱えしゃがみ込みました。その爆発音が開会式の始まりの合図「花火」だと理解するまで少しの間がありましたが、皆、安どの表情で顔を見合わせ笑顔を取り戻しました。
 盛大な花火と割れんばかりの大歓声の中を入場した記憶が今も残っています。