最新ニュース!!

1. ☆ 7月18日(金)平和を維持していくためには?~鴇田教頭先生の特別授業2~

投稿日時: 07/17 サイト管理者

7月16日(水)と本日、鴇田拳教頭先生の特別授業「これからの平和を考える~核兵器の学習を通して~」の後編が3年生対象に行われました(→前編の授業はこちら)

▼7月16日の様子(写真は3年5組)

前回の授業の最後、鴇田教頭先生から子ども達に投げかけられた問い「日本は核兵器禁止条約に参加するべきか?」について、子ども達の一次判断結果が示されます。拮抗している子ども達の判断。それだけ難しい判断でもあるという証拠です。

▼スクールライフノートに書かれた子ども達の課題意識から、本時は「なぜ核兵器が大量に作られたのか。なぜなくせないのか。核兵器を持つことにどのような意味があるのか」について考えを深めていきます。

そこで、「核兵器開発競争シミュレーション」と題して、グループごとにアメリカ側とロシア側に分かれ、それぞれの立場で、様々な状況下でどう考えるのかを考えていきます。

鴇田教頭先生から提示される9つの問いに対して考えを深めていく子ども達。

▼ペンケースを「核兵器」に見立て、かけ声と共に「核兵器」を手放す(机の上に置く)かどうかを実際にやってみます。結果、置かない子も続出。自分からは手放すのは厳しいのでしょうか。相手の様子を見ながら、相手が先に手放さないと、自分からは手放せない状態に陥ります。アメリカもロシアもそういった状況であるのが、自分事のようにしてわかります。

▼本日の様子(写真は3年6・7組)

授業の終盤、子ども達はサーロー節子さんのノーベル平和賞授賞式での英語のスピーチ映像を視聴します。

被爆者・反核運動家 サーロー節子さんのノーベル平和賞授賞式スピーチ(2017年)(抜粋)

 今日、私は皆さんに、この会場において、広島と長崎で非業の死を遂げた全ての人々の存在を感じていただきたいと思います。皆さんに、私たちの上に、そして私たちのまわりに、25万人の魂の大きな固まりを感じ取っていただきたいと思います。その一人ひとりには名前がありました。一人ひとりが、誰かに愛されていました。彼らの死を無駄にしてはなりません。 
 
 米国が最初の核兵器を私の暮らす広島の街に落としたとき、私は13歳でした。私はその朝のことを覚えています。8時15分、私は目をくらます青白い閃光(せんこう)を見ました。私は、宙に浮く感じがしたのを覚えています。 
静寂と暗闇の中で意識が戻ったとき、私は、自分が壊れた建物の下で身動きがとれなくなっていることに気がつきました。私は死に直面していることがわかりました。私の同級生たちが「お母さん、助けて。神様、助けてください」と、かすれる声で叫んでいるのが聞こえ始めました。 
 
 そのとき突然、私の左肩を触る手があることに気がつきました。その人は「あきらめるな! (がれきを)押し続けろ! 蹴り続けろ! あなたを助けてあげるから。あの隙間から光が入ってくるのが見えるだろう? そこに向かって、なるべく早く、はって行きなさい」と言うのです。私がそこからはい出てみると、崩壊した建物は燃えていました。その建物の中にいた私の同級生のほとんどは、生きたまま焼き殺されていきました。私の周囲全体にはひどい、想像を超えた廃虚がありました。 
 幽霊のような姿の人たちが、足を引きずりながら行列をなして歩いていきました。恐ろしいまでに傷ついた人々は、血を流し、やけどを負い、黒こげになり、膨れあがっていました。体の一部を失った人たち。肉や皮が体から垂れ下がっている人たち。飛び出た眼球を手に持っている人たち。おなかが裂けて開き、腸が飛び出て垂れ下がっている人たち。人体の焼ける悪臭が、そこら中に蔓延(まんえん)していました。 
 このように、一発の爆弾で私が愛した街は完全に破壊されました。住民のほとんどは一般市民でしたが、彼らは燃えて灰と化し、蒸発し、黒こげの炭となりました。その中には、私の家族や、351人の同級生もいました。 
 
 その後、数週間、数カ月、数年にわたり、何千人もの人たちが、放射線の遅発的な影響によって、次々と不可解な形で亡くなっていきました。今日なお、放射線は被爆者たちの命を奪っています。 
 
 広島について思い出すとき、私の頭に最初に浮かぶのは4歳のおい、英治です。彼の小さな体は、何者か判別もできない溶けた肉の塊に変わってしまいました。彼はかすれた声で水を求め続けていましたが、息を引き取り、苦しみから解放されました。 
 私にとって彼は、世界で今まさに核兵器によって脅されているすべての罪のない子どもたちを代表しています。毎日、毎秒、核兵器は、私たちの愛するすべての人を、私たちの親しむすべての物を、危機にさらしています。私たちは、この異常さをこれ以上、許していてはなりません。 
 私たち被爆者は、苦しみと、生き残るための、そして灰の中から生き返るための真の闘いを通じて、この世に終わりをもたらす核兵器について世界に警告しなければならないと確信しました。くり返し、私たちは証言をしてきました。 
 それにもかかわらず、広島と長崎の残虐行為を戦争犯罪と認めない人たちがいます。彼らは、これは「正義の戦争」を終わらせた「よい爆弾」だったというプロパガンダを受け入れています。この神話こそが、今日まで続く悲惨な核軍備競争を導いているのです。 
 
 9カ国は、都市全体を燃やし尽くし、地球上の生命を破壊し、この美しい世界を将来世代が暮らしていけないものにすると脅し続けています。核兵器の開発は、国家の偉大さが高まることを表すものではなく、国家が暗黒のふちへと堕落することを表しています。核兵器は必要悪ではなく、絶対悪です。 
 
 今年7月7日、世界の圧倒的多数の国々が核兵器禁止条約を投票により採択したとき、私は喜びで感極まりました。かつて人類の最悪のときを目の当たりにした私は、この日、人類の最良のときを目の当たりにしました。私たち被爆者は、72年にわたり、核兵器の禁止を待ち望んできました。これを、核兵器の終わりの始まりにしようではありませんか。 
 
 責任ある指導者であるなら、必ずや、この条約に署名するでしょう。そして歴史は、これを拒む者たちを厳しく裁くでしょう。彼らの抽象的な理論は、それが実は大量虐殺に他ならないという現実をもはや隠し通すことができません。「核抑止」なるものは、軍縮を抑止するものでしかないことはもはや明らかです。私たちはもはや、恐怖のキノコ雲の下で生きることはしないのです。 
 
 核武装国の政府の皆さんに、そして、「核の傘」なるものの下で共犯者となっている国々の政府の皆さんに申し上げたい。私たちの証言を聞き、私たちの警告を心に留めなさい。そして、あなたたちの行動こそ重要であることを知りなさい。あなたたちは皆、人類を危機にさらしている暴力システムに欠かせない一部分なのです。私たちは皆、悪の凡庸さに気づかなければなりません。 
 
 世界のすべての国の大統領や首相たちに懇願します。核兵器禁止条約に参加し、核による絶滅の脅威を永遠に除去してください。 
 
 私は13歳の少女だったときに、くすぶるがれきの中に捕らえられながら、前に進み続け、光に向かって動き続けました。そして生き残りました。今、私たちの光は核兵器禁止条約です。この会場にいるすべての皆さんと、これを聞いている世界中のすべての皆さんに対して、広島の廃虚の中で私が聞いた言葉をくり返したいと思います。「あきらめるな! (がれきを)押し続けろ! 動き続けろ! 光が見えるだろう? そこに向かってはって行け」 
 
 今夜、私たちがオスロの街をたいまつをともして行進するにあたり、核の恐怖の闇夜からお互いを救い出しましょう。どのような障害に直面しようとも、私たちは動き続け、前に進み続け、この光を分かち合い続けます。この光は、この一つの尊い世界が生き続けるための私たちの情熱であり、誓いなのです。

▼2回の授業を終え、改めて「日本は核兵器禁止条約に参加するべきか?」が示されます。子ども達は、現段階での最終判断を自分なりに考え、まとめていきます。

▼授業の最後、鴇田教頭先生からこの平和の授業を通しての、子ども達への渾身のメッセージが伝えられます。

核兵器禁止条約に参加するべきかどうか、という、正解のない問いについて考えてもらいました。とても難しい課題だったと思います。大人でも結論が出せない人がたくさんいると思います。授業をしている私も、この問題については何年も考えていますし、この授業をつくるために、核兵器禁止条約について書かれた本を7~8冊ぐらい読みましたが、未だに自信を持ってこれが自分の結論だ、という考えはまとまっていません。

では、なぜ、今回、このような授業をして、どちらがよいか自分の結論を出してもらったのか。それは、こうやって、情報を得て、他者と意見交換をしながら考えて、自分なりの結論を出していくことが、民主主義の社会で求められるからです。今週末に参議院議員選挙がありますが、今回の選挙でも、マニフェストに核兵器禁止条約のことを入れている政党があります。もしかしたら、将来、みんなが有権者として選挙で投票して、核兵器禁止条約に参加するかどうかが決まっていく、という日が来るかもしれません。

私は、今回のように、戦争と平和について正解のない難しい問いについて考える授業を、もう10年以上続けています。その中で、年々、「平和はもちろん大切だけど、願うだけでは平和は実現しないと思う」「平和は大切だからこそ、平和を守るための力、武力が必要だと思う」という意見を持つ人が増えていると感じます。もちろん、そういう意見が正解とか間違いということではありません。ただ、戦争の悲惨さや武力、例えば核兵器のことについて深く知らないまま、『武力が必要だ』と言うのは、不十分だな、と思っています。だから、戦争の悲惨さや理想の平和と、国際社会の現実、両方を知って考える授業をつくるようにしています。みんなには、「理想」と「現実」、どちらにも目を向けた上で、自分なりの判断をできる大人になってほしい、そう思っています。

今、ワークシートに「最終判断」を書いてもらいましたが、それは今回の授業の最終判断なのであって、明日以降、変わっていっていいと思います。核兵器禁止条約に参加するべきか、平和を維持していくためにどんなことが必要か、今回の授業を時々思い出して、これからも考え続けてほしいと思います。

 

▲2回にわたって行われた鴇田教頭先生による、平和について考える特別授業。3年生の子ども達は、ペアやグループで話し合い、意見を交換し、自分の考えをまとめていくという作業に正面から向き合ってくれました。また、これからの平和な世の中を創る、という壮大なテーマから臆することなく、真剣に考え抜いてくれました。社会科教員としての使命感を持って、素晴らしい授業を展開してくださった鴇田教頭先生と共に、頑張って取り組んだ子ども達にも、大きな拍手を送りたい気持ちで一杯になりました。