投稿日時: 08/15
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東日本大震災で、大きな被害を受けた宮城県の南三陸町。当時の人口17,600人あまりのうち、死者は620 名(関連死含む)、行方不明者は221名。 住居などの損壊は4,700戸を超えました。
▼甚大な被害を被った南三陸町にある「南三陸町震災復興記念公園」。震災によって亡くなった方々の追悼・鎮魂の場として整備されています。また、震災の記憶を風化させないための施設も併設されており、さらには、震災からの復興を目指す場にもなっています。
▼この「震災復興記念公園」に、赤い鉄骨だけを残して建っているのは「南三陸町庁舎」の一つ、震災遺構である「旧防災対策庁舎」です。
▼12mほどの建物の屋上まで津波にのまれ、最後まで防災無線で避難を呼びかけた24歳の町の女性職員ら、43人が犠牲となった場所です。
▼旧防災対策庁舎は一時、遺族への配慮や管理費用の問題から解体される予定でした。その後、被災した事実と歴史を震災を知らない世代へ確実に伝えていこうと「震災遺構」として町が所有、維持管理していくことに決定。未来の命を守るために被災地の歩みは今も続いています。
▼「震災復興記念公園」の横には、たくさんの飲食店やお土産物店が軒を並べる「南三陸さんさん商店街」。そして、この地での被害状況をまとめて展示し、震災伝承の拠点となる「南三陸311メモリアル」が建てられていました。
▼「南三陸311メモリアル」には、様々な資料が展示されており、東日本大震災の被害状況を知ることができます。この震災を絶対に忘れないこと、次の世代へと受け継いでいくことの重要性が伝わってきます。
▼南三陸町の方々の復興への強い思いが伝わってくる写真