日誌

7月2日(水)校長講話

 7月2日(水)の全校集会では、子どもたちに次のような話をしました。

【校長講話】

「感謝の気持ち」をもつということ

 みなさん、おはようございます。

 今年度、本校では「笑顔」「感謝」「挑戦」の3つの言葉を重点ワードとして、いろいろな場面で話をしてきました。

 今日は、その中のひとつ「感謝」について、みなさんと一緒に考えてみたいと思います。

 突然ですが、みなさんに質問です。

 「大きい」の反対は? ──「小さい」

 「速い」の反対は? ──「遅い」

 簡単ですね。では、次は難しいですよ。

 「ありがとう」の反対の言葉って、何だと思いますか?

 「えっ、反対語なんてあるの?」と驚く人もいるかもしれません。私もそうでした。

 「ありがとう」は、漢字で書くと「有難う」です。語源は「有り難し(ありがたし)」という言葉です。つまり、「有ることが難しい」ということ。簡単に言うと、「まれである」「めったにない」「珍しくて貴重だ」という意味になります。すなわち──「奇跡」なんです。

 もともとこの言葉は、神や仏を誉めたたえ、賞賛する言葉として使われていました。神さまや仏さまが自分を守ってくれて、手助けしてくれる──それはまさに「滅多にないこと」どころか、「あり得ないこと」「存在し得ないこと」です。「ありがとう」という言葉は、神様に向けられた感謝の言葉だったのです。「いやぁ、有り難し、有り難し」と手を合わせる、そんな思いが込められていました。

 ここまで聞いて、どうですか?

 「ありがとう」の反対語、わかりましたか? ──答えは、「あたりまえ」です。

 朝、元気に目が覚めること。

 毎日、学校に通えること。

 食事ができること。

 友達と笑い合えること。

 先生と勉強できること。

 家に帰れば、家族がいること。

 そして、毎日無事に過ごせること。

 こうしたことを、みなさんは「当たり前」だと思っていませんか?「当たり前」と思っていると、「有り難い」と感じることができず、「ありがとう」という言葉も出てきません。

 でも実際には、病気や事故、災害などで、「当たり前の生活」が一瞬で変わってしまう人もいます。だからこそ、「ありがとう」という言葉は、今あることが「当たり前ではない」と気づいたときに、自然と出てくるのだと思います。

 みなさんの周りには、「ありがとう」を伝えるべき相手がたくさんいます。

 朝、食事を作ってくれるおうちの人に。
 授業を教えてくれる先生に。
 何気ない会話をしてくれる友達に。
 いつもそばにいてくれる仲間に。
 「当たり前」ではなく「ありがたい」ということに気付き、感謝の気持ちを持てるようになれば、今、自分が置かれている立場や状況でやるべきことに、もっと一所懸命になれるはずです。

 「学校に通わせてもらっていること」に「ありがとう」と思えたら、授業にも、学校生活にも、もっと真剣に取り組めるようになります。

 そしてそれは、人に対してだけでなく、身の回りの「もの」──机、筆記用具、部活動で使うグローブやラケット、スマートフォン──にも言えることです。

 「これは当たり前じゃない」と気づけば、物を大切にする気持ちもきっと自然に芽生えてくるはずです。

 「ありがとう」と思う気持ちを毎日もち続けることは、実はとても大切で、そしてちょっと努力がいることかもしれません。

 今日の話を聞いて、少しでもみなさんの心や行動に、前向きな変化や気づきが生まれたらうれしいです。

 「ありがとう」は、言葉にしなければ相手には伝わりません。でも、たった一言で、心がほっとして、場の空気がやわらかくなる──そんな魔法のような力をもっています。

 私は、田野中学校を「ありがとう」が自然に飛び交う学校にしたいと思っています。互いを思い合い、感謝し合える、そんな雰囲気をみんなでつくっていきましょう。感謝の心をもって、今日も、そして明日も、元気に、前向きに学校生活を送ってくれることを願っています。