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市内在住の飯島勤さんが国の選定保存技術保持者に認定
令和8年7月17日、国の文化審議会は、本市在住の飯島勤さんを、選定保存技術「美術工芸品保存桐箱製作」の新たな保持者に認定するよう、文部科学大臣に答申しました。
文化財保護法では、文化財保存のための伝統的な技術または技能のうち、保存の措置を講ずる必要のあるものを「選定保存技術」として選定し、その保持者・保存団体を認定しています。
飯島さんは埼玉県内で4人目、本市では初めての保持者となります。
書画や工芸品の保存には、温湿度の調整に優れた桐箱や桐箪笥が用いられます。保存箱や箪笥の製作には、吟味された材料と正確かつ熟練した指物技術(金属製の釘を使わずに、ホゾや継ぎ手で木材を組み、板の接合には糊や竹の目釘などを用いる技術)が要求されますが、現在、優れた技術保持者は、極めて少なくなってきています。
飯島さんは、美術工芸品保存桐箱製作に精通し、熟練の技術によって、甲冑をはじめとした武具類の保存桐箱等を製作しています。また、甲冑の保存に必要な架台(甲冑保管時に、桐箱の中で甲冑を支える台)の製作にも多数の実績を残しています。
春日部の桐箪笥は経済産業大臣による伝統的工芸品に指定されており、飯島さんは伝統工芸士にも認定されています。
桐箪笥や桐箱が特産品である本市において、桐箱の製作に関する飯島さんの高い技術が評価されたことは、大変意義深いものだと思います。春日部の桐箪笥や桐箱をはじめ、その製作に関する高い技術を多くの人に知っていただき、保存技術を継承していくために、文化財課も協力していきたいと思います。
【学校の先生方必見!?】春日部の特産品教材セットはじめました
10万点以上にも及ぶ、郷土資料館の収蔵資料を活用するため、もしくはご活用いただくため、日夜考えているところです。このたび「春日部の特産品教材セット」を準備してみました。
春日部の特産品といえば、桐タンス、桐箱、麦わら帽子、押絵羽子板です。
例年、小学校の皆さんの調べ学習や出張授業など、郷土春日部を知り・学ぶ「入り口」として、春日部の特産品は重要なコンテンツになっています。
昨日、商工観光課から「出前講座を依頼されたので、押し絵羽子板と羽根つきの玉(ムクロジの実)を貸してほしい」「ついでに麦わら帽子・桐箱も貸してほしい」とご相談がありました。貸し出すなら、セットを作ってしまえというノリでつくったのが、この教材セット。
わずか(?)52×38×26cmの箱に、特産品の説明にお役立ていただける資料がギュッと詰まっています。
さすがに桐タンスの持ち運びは難しいのですが、各種製品だけでなく、
麦わら(ストロー状になっている)やムクロジの実(果実付き、種のみ)や、桐のはがきや桐タンス職人が木取った残りの廃材(フシがあるからタンスには使えない)などが入っています。
貸し出しセットのデビュー戦は、観光振興課による出前講座。利用後の要望も踏まえつつ、さらに教材セットとして鍛えていきたいと思っています。
学校の先生方には、どうかご活用いただきますよう、希う次第です。
貸し出しのご希望の際には、まずは郷土資料館までご相談ください。
【資料寄贈】武里駅前の清酢工場のチラシ
郷土資料館には、年に数十件ほど資料の寄贈のお話しをいただきます。
今回は、市外の方ですが、古書店で次のような広告を見つけたといい、快くお譲りいただきました。
資料は、かつて武里駅前にあった武里清酢醸造所の広告です。景品を付けて、清酢(食用酢)を大売り出ししたときのもののようで、売出・景品交換期間は大正15年(1940年・12月に昭和に改元)とありますので、大正時代の終わりごろに印刷・配布されたものでしょう。
武里駅前にかつて酢の工場があったこと、地元の古老の方や郷土史家の方に聞いたことがありますが、具体的な資料が、少なくとも館蔵の資料にはなく、たまにお問い合わせいただきますが、よくわからないと答えるばかりでした。
いま一度、調べてみると、清酢工場は、武里村の大字大畑に所在していた工場で、今の武里駅の東側に所在していました。工場の創業は大正7年1月とされています(『埼玉県工場通覧 昭和10年』)。別の文献では、屋号を「酢屋」といい、酢屋田中栄次郎商店ともいいました。工場の創業は大正7年のようですが、酢の醸造の創業年は江戸時代後期の天保年間ともされています。
…江戸時代まで遡るのか。担当者の目の色が少し変わってきました。
田中栄次郎という人は、安政元年(1854)生まれ。赤沼村(豊野地区)出身の方のようで、赤沼在住の時代には酢の醸造だけでなく、醤油の販売もしていたようです(『埼玉県南埼玉北葛飾二郡公民必携名家鑑』)。残念ながら、江戸時代の赤沼村の醸造についての史料は見出されていませんが、天保14年(1843)、隣村の銚子口村では「豆腐・油揚・醤油・酢・ぞふり(草履)・わらし(草鞋)」を商う農家があったことが確認されますので(『春日部市史 近世史料編 5』p656)、近郷で酢の醸造をしていた家があってもおかしくはないでしょう。
武里の酢屋は、おそらく、明治32年(1899)に東武鉄道が開通し、交通・流通の便を考え、工場を武里駅前に創業したのではないか、と考えられます。
桐箪笥・麦わら帽子など春日部の地場産業は、農村部で産業が勃興すると、明治時代末期から大正期にかけて、その担い手が粕壁町などの地域都市に進出していく傾向がみられます。おそらく、酢屋もその歴史過程と軌を一にしたものと理解できるでしょうか。
具体的なことがわからないにも関わらず、推論に推論を重ねてしまいました。関係者の方、詳しいことをご存じの方がおられましたら、ご教示いただけますと幸いです。
末尾ですが、資料をご寄贈いただいた方に、改めて感謝申し上げます。
粕壁小学校の3年生が郷土資料館を見学しました
令和6年3月1日(金)に粕壁小学校の3年生が郷土資料館を見学しました。
この日は、企画展示室の「くらしのうつりかわり」展を中心として“昔の生活の様子”を学び、残りの時間を自由時間にして館内全体を見学してもらいました。
企画展示室での昔の生活の解説時には、昔の炊事や洗濯などは手作業によるものが多いことから、児童からも「たいへんだねぇ~」という声が。
時間の流れが速く、複雑化した現代では何事も機械に頼らなければならず、昔と同じ作業をして生活することはとても難しいことでしょう。
千歯扱き(せんばこき)を使った脱穀は各クラス代表5人に体験してもらいました。
体験の光景を眺める児童の中には“自分もやりたかった~”と残念がる子も普段は多いのですが、「やりたいけどがまん!!」と自分を律する子がいたのには驚きでした!えらい!
自由見学の時間では、かつて粕壁小学校で使っていた机や椅子などに腰掛ける児童や、桐箪笥に興味を持つ児童の姿が!実はこの桐たんすの中にも資料やクイズか仕掛けられていて、発見した児童は楽しそうにチャレンジしていました♪
ちなみに粕壁小は1~4時間目を利用して、1クラスずつ入れ替わりで見学するスタイルでの実施でした。というのも、粕壁小学校と郷土資料館(教育センター)は隣に位置しており、校内で教室移動をするのとさほど変わらない速さで来られてしまうからです!
お家が近い児童も多く、郷土資料館に来たことのある子もほかの学校と比べて多いようです。「この前来た!」と言ってくる子もいるほど!
せっかく近くにある郷土資料館です。これからもたくさん遊びに来てくださいね♪
収蔵資料の紹介、更新しました
郷土資料館の収蔵資料を紹介しています。今回は、3点の資料を追加。昨年度の博物館実習生が解説を執筆してくれたものです。そして、現在の春日部を語る上で、重要な資料ばかりです。 #かすかべプラスワン
一つ目は「総桐二つ重ね面箪笥」
粕壁の老舗の商家からご寄贈いただいたもので、現在も絶賛展示中です。桐箪笥の部位や素材の解説を詳しく書いてくれています。
二つ目は「春日部市庁舎落成記念手ぬぐい」
現在の市役所が完成したときに記念に配られた手ぬぐいです。この図柄を拝借して、オリジナルのスタンプも作りました。絶賛捺印できます。
三つ目は「大正十年七月十五日粕壁町八坂神社祭典記念絵葉書」
現在の春日部夏祭りの原型でもある、粕壁の八坂神社祭礼の写真絵葉書です。祭礼の写真としては、わかっている限りでは一番古い写真です。本当は10枚あるのですが、画像では一部のみ紹介しています。夏祭りの季節にでも、展示、あるいは「ほごログ」で紹介したいと思っています。
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