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武里南小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました

平成30年2月23日に武里南小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました。
少し前のおもちゃや学用品・家庭で使われていた道具・農具を見ながら、生活の変化を理解していました。

見学の様子

いつも遊んでいる物とは違う”昔のおもちゃ”にも興味津々でした。

見学の様子

郷土資料館では、3月18日(日)まで「くらしのうつりかわり―懐かしの暮らしと道具展」を開催しており、昔の懐かしい道具や写真を展示しています。小さなお子様からご年配の方まで、一緒に楽しめる展示となっております。ぜひ遊びにいらしてください。

縄文人の新たな道具『新編図録春日部の歴史』からのご紹介39

縄文時代は約15,000年前、縄文土器が作られ始めたことをもって開始するとされています。しかしながら、遺跡から発掘される石器からは、旧石器時代と縄文時代の移り変わる頃には大きな変化はありませんでした。今回は旧石器時代から縄文時代に変わるころに作られた尖頭器(せんとうき)と縄文時代を代表する石鏃(せきぞく)という2種類の石器を紹介します。

旧石器時代の終わりから縄文時代への移行期には、尖頭器(写真上段)と呼ばれる槍の先に付けた石器がみられます。市内でも、内牧(うちまき)の竹之下(たけのした遺跡や坊荒句北(ぼうあらくきた)遺跡、西金野井(にしかなのい)の作之内(さくのうち)遺跡、風早(かざはや)遺跡、西宝珠花(にしほうしゅばな)の貝の内(かいのうち)遺跡で発見されています。
その後、狩りの道具として弓矢が誕生し、これまでの手で槍を投げる方法から弓の反発力によって、より確実に獲物を狩りする方法に発展しました。この矢の先に付ける石器が石鏃(写真下段)です。
旧石器時代の狩りが大型獣を狙っていたことに対し、縄文時代には中型・小型獣へ変わっていったことも、この変化の理由と考えられています。石鏃は、地域や縄文時代の時代の経過に伴って改良が加えられたり、大小様々な形をみることができます。

「縄文人の新たな道具」『新編 図録 春日部の歴史』12ページ

尖頭器


風早遺跡出土の石鏃

幸松郷土カルタすごろくで遊びました

2月19日(月)、幸松(こうまつ)小学校の放課後子供教室にお邪魔して、郷土資料館で作成した、幸松郷土カルタ双六(すごろく)で小学生と遊びました。



この双六は、郷土春日部や身近な地区について楽しく学べるよう、昭和初期の「粕壁町商売繁栄双六」をベースに、郷土カルタの札をコマとして作成したものです。幸松地区の文化財のコマにあたると、ボーナスがあります。



幸松地区の民具などが飾ってある幸松ルームを会場に、参加者は小学生13人に、ボランティアの大学生のお兄さん・お姉さん、係の方などを加えて16人ほどでした。



ふじむすめさん、まちむすめさん、なりひらくん、ゆりかもめさん4チームに分かれ、巨大サイコロを振るごとに歓声が。単純にサイコロの出目を進めるのではなく、いろいろなトラップが多い双六なので、なかなかゴールできません。終わるまで40分ちょっとかかりました。みんな楽しくプレイできたようで、1~3位のチームの子は、ご褒美の記念の賞状をもらって喜んでいました。

中野小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました

平成30年2月20日に中野小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました。
児童たちは、カタカナで書かれた小学校の教科書を見て、ひらがなで書かれた今の教科書との違いを発見したり、少し前まで実際に使われていた冷蔵庫や洗濯機など身近な道具を見て、昔との生活の違いに驚いていました。

見学の様子

実際に、今より小さい昔のランドセルを背負ってみたりもしました。

見学の様子

郷土資料館では、3月18日(日)まで「くらしのうつりかわり―懐かしの暮らしと道具展」を開催しており、昔の懐かしい道具や写真を展示しています。小さなお子様からご年配の方まで、一緒に楽しめる展示となっております。ぜひ遊びにいらしてください。

郷土資料館体験ワークショップを開催しました

平成30年2月17日(土)、郷土資料館展示室で「体験ワークショップ からくり屏風を作ろう!」が開催されました。
春日部の伝説をもとにした紙芝居や、蓄音機によるレコード鑑賞を楽しんだあと、昔のおもちゃ「からくり屏風」を作りました。裏と表の2面しかないように見える屏風が、開き方によって4面の絵柄が出てくる不思議な屏風に、参加した子供たちは大変喜んでいました。

ワークショップ
ワークショップ風景

ワークショップは、小学生までを対象とした、昔の遊びを気軽に体験できるイベントです。事前申込み不要、当日の飛び込みも大歓迎です。
 次回ワークショップは、平成30年3月24日(土)に「ぴょんぴょんカエル」や「紙てっぽう」を作ります。ご参加をお待ちしています。

ワークショップ風景

写真週報『新編図録春日部の歴史』からのご紹介38

『写真週報』は、内閣情報部(のち内閣情報局)が刊行していた週刊のグラフ雑誌です。ちょうど80年前の昭和13年(1938年)2月16日に創刊号が刊行され、昭和20年(1945年)7月11日付の374・375合併号まで、370冊が刊行されました。春日部市郷土資料館では、ご寄贈いただいた一部を所蔵しています。
写真が多く使われた誌面では、戦時中の国民精神総動員運動を進め、銃後(じゅうご*)の団結がうたわれました。

『写真週報』については、
国立公文書館アジア歴史資料センターで平成19年3月より、特別展「『写真週報』にみる昭和の世相」 としてとりあげられ、掲載された戦時中の写真がトピックスごとにまとめられています。
国立公文書館アジア歴史資料センターは、国立公文書館、外務省外交史料館、防衛省防衛研究所から電子化されたアジア歴史資料の提供を受け、インターネットを通じて公開している機関です。

*銃後:戦闘に直接参加していない一般市民のこと

「『写真週報』にみる昭和の世相」国立公文書館アジア歴史資料センターサイト
「写真週報」『新編 図録 春日部の歴史』233ページ

写真週報
春日部市郷土資料館で収蔵している写真週報

「古文書解読勉強会」の成果(その3)

「古文書解読勉強会」の成果、第三弾です。
引き続き、当館所蔵の神間村文書です。今回から「勉強会」に参加された皆さんの(復習のための)読みやすさに配慮して、少し大きな文字で入力しました。担当者が一言加えた「ひとことメモ」もあわせてご覧ください。
第一弾(史料番号1・4)第二弾(史料番号2・12)はそれぞれのリンクをご参照ください。

【史料番号10】
神間村文書10(1)

神間村文書10(2) 
   乍恐以書付御届奉申上候
御知行所武総五ケ村惣代
神間村名主源兵衛奉申上候、当午田
方之義植付後稲草生立も宜敷
一同大悦ニ相心得居候処、当月六日
之大雷雨ニ而追々雨天打続田方
一円水深ニ相成居候処、猶又十四日十五日
之大雨ニ而江戸川通拾合余之出水
相成、水防人足夥敷差出相防候
処、漸々此節人足引払ニ相成、然ル処
内郷村々殊ニ低場村之義ハ田方水冠
ニ相成、殊ニ畑方之儀も同様水押上り
難渋悲歎仕罷在候、乍併此侭水干ニ
相成候は、何程相立帰り可相成候哉、暑
中之儀ニ候は(傍書)「得は」、案心不仕ニ奉存候、
猶見極メ之上、御注進可奉申上候間、
右之段宜敷御聞済被下置度、偏ニ
奉願上候、以上
   安政五年六月 御知行所
          千塚村
           名主
             粂次郎
          芦橋村
           名主
             利右衛門
          神間村
           名主
             源兵衛
          上柳村
           名主代組頭
             忠兵衛
      五ケ村惣代神間村
             源兵衛
  御地頭所様御内 
      御役人中様

(ひとことメモ)
本史料は、神間村等5か村が旗本能勢氏の役所に提出した文書。『埼玉県史調査報告書 旧旗下相知行調』(1986年)によれば、能勢氏の所領は600石あり、神間村のほか、下総国葛飾郡芦橋村・上柳村・永沼村(現春日部市)、武蔵国葛飾郡千塚村(現幸手市)、下総国豊田郡牛縊(うしくびり)村(実際は常陸国筑波郡、現茨城県つくば市)、伊豆国田方郡間宮村(現静岡県函南町)・長崎村・三輪(実際は三福)村(現静岡県伊豆の国市)に分散していた。文書に中の「武総五ケ村」とは神間・永沼・芦橋・上柳・千塚の5か村とみられるが、なぜか永沼村の役人の署名がない。

【史料番号13】

神間村文書13
   差上申一札之事
           下総国葛飾郡
              神間村
             百姓作左衛門倅
               八郎左衛門
                当寅弐拾二才
右之もの儀、当村地内ニおゐて御召捕ニ相成、
私共立会罷在、所持之品相改メ候処、一切
無御座候、且又御召捕筋之義ニ付御非分成
御取計毛頭無御座候、依之場所書一札
差上申処、仍而如件
          能勢十次郎知行所
  慶応二年寅二月廿六日 右村
              名主
               源兵衛㊞

関東御取締御出役
    安原燾作様


(ひとことメモ)
関東取締出役とは、江戸幕府が文化2年(1805)に創設され、関東八州の幕領・私領を巡回し、無宿人や博徒などの取締まりや、農民への教諭活動等を行なった幕府の役人。

豊春小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました

平成30年2月15日に豊春小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました。
児童たちは、展示されている実際に使われていた民具などを見たり体験したりして、春日部の生活の変化を理解していました。

小学校見学の様子

江戸時代末期の日光道中粕壁宿の街並みの模型を見たり、

小学校見学の様子

千歯こきを使った脱穀体験など、教科書とはまた違った学び方をしました。

小学校の見学の様子

最後は、体験に使った千歯こきをスケッチしたりして、今日見たことや体験したことを、一生懸命まとめていました。

小学校の見学

郷土資料館では、3月18日(日)まで「くらしのうつりかわり―懐かしの暮らしと道具展」を開催しており、昔の懐かしい道具や写真を展示しています。小さなお子様からご年配の方まで、一緒に楽しめる展示となっております。ぜひ遊びにいらしてください。

南桜井小学校伝統芸能クラブの皆さんが舞を披露しました。

南桜井小学校のクラブ発表会が2月14日に同校の体育館で行われ、伝統芸能クラブの皆さんが演目「芝舞」を披露しました。年間をとおしたクラブ活動の時間には、西金野井獅子舞保存会の染谷会長による指導が行われています。毎年4月のクラブ活動の時間に「発表会の時には、生徒さんだけで舞ができるように」とお約束をしているそうです。急遽3名がお休みをした中、堂々とした舞を披露されました。発表終了後に、「伝統芸能を絶やさないために、皆さん伝統芸能クラブに入ってください」と生徒さんから呼びかけがありました。一人でも多くの生徒さんに郷土春日部の伝統芸能に触れてもらいたいと思います。

笛とささらの音色に合わせた入場


演目「芝舞」の様子
 6年生は小学生生活最後のクラブ活動で4、5年生を引っ張っていただき、また、会長さんをはじめ、保存会の皆さまにもお忙しい中での継続したご指導、誠にありがとうございました。

資料をご寄贈いただきました

2月14日、市内にお住まいの方から資料をご寄贈いただきました。
今回、受け入れた資料は「埼玉箪笥同業組合員」の看板です。
埼玉箪笥同業組合看板

寸法は縦60.5cm、横13.2cm、厚さ1.6cm。
聞き取りによると、豊春地区で職人さんだった明治生まれのお祖父さんは、昭和戦後まで桐細工をしていたそうです。昭和32年の春日部市『商工名鑑』にはこの方のお名前がみえないことから、昭和30年ごろまでには箪笥づくりをやめられていたのかもしれません。
箪笥職人さんの実の娘にあたるお母さん(故人)が、「子どものころ、製造した桐箪笥を粕壁の箪笥問屋の島忠にリヤカーで運んでいて、よく粕壁に連れて行ってもらった」というご記憶を、生前によくお話しになられていたそうです。
島忠さんは、春日部発祥の家具・ホームセンターとして著名な会社です。元は粕壁の老舗の桐箪笥の卸問屋で、現在の学校通りに店を構えていました。『粕壁町誌』(昭和11年刊)に往時の島忠さんの店先の写真がありましたので、せっかくですから掲載したいと思います。その雰囲気を感じてみてください。
島村箪笥店

『埼玉の桐細工』(埼玉県立民俗文化センター、1987年)によると、埼葛一円には古くから箪笥組合があったようで、昭和2年に品質向上を図るため「埼玉箪笥同業組合」が結成されました。その後昭和7年には同組合は解散し、別の団体が結成され、戦中には川越の箪笥組合と統合し、埼玉県箪笥組合連合会が設立されました。
ですから、本資料は昭和2年~7年の間に掲げられていたものと考えられます。

春日部市の特産品として広く知られる桐箪笥ですが、調査・研究としては『埼玉の桐細工』や小泉和子著『箪笥』が底本となっていますが、実はそれ以上のことはあまりわかっておりません。引き続き調査をすすめていきたいと思います。

ご寄贈いただいた方には、改めてお礼を申し上げます。