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平成30年度後期学校評価

1年間保護者の皆様、学校関係者の皆様、また地域の皆様に本校の教育活動にご支援・ご協力いただきありがとうございました。
年2回学校評価を実施し、学校運営の改善を行ってきました。その結果を公表いたします。

学校便り(学校評価3月).pdf
 

図書ボランティア募集(1月16日)

 来年度、図書ボランティアを募集しています。本が好きな方、学校図書館に興味のある方、この機会に一緒にボランティアをしませんか。月に1回程度、皆さんのご都合があう曜日を選んで行っています。
 ご希望される方は、茂原中教頭にご連絡下さい。
 
合理的配慮の提供について
 障害者に対して、合理的配慮の提供をすることが法的に義務づけられました。これはH28.4.1に「障害者差別解消法」が施行されたことに基づくもので、平成30年度はすでに4月5日に保護者の皆様にその申し出の文書を配布致しました。何らかの合理的配慮が必要な場合は担任を通して申し出て下さい。
合理的配慮の提供-1-1.pdf
合理的配慮の提供-1-2.pdf
合理的配慮の提供-2.pdf
 

お知らせ

茂原市立茂原中学校
297-0029
千葉県茂原市高師427
Tel:0475-22-2320
Fax:0475-25-9373
 

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校歌

                    白鳥 省吾   作詞     弘田龍太郎 作曲                   茂中校歌.mp3
1.緑の広野 のぼりくる
    朝日の照らす 学びやに
    ああ 新しき 世の光
    あまねくあびて われらたつ
    茂原中学 茂原中学 
    わが母校
2.見よ長生の 中どころ
    
かんたるほまれ 胸にして
    
海さちそうる 良き里に
    
むつみてはげむ 楽しさよ
    
茂原中学 茂原中学 
    わが希望
3.伸びる若松 大空に
     
雲呼ぶところ 風かおり
     
皆とりどりに 花ひらく
     
文化の道を いざゆかん
     
茂原中学 茂原中学 
     栄えあれ
 

上の茂中校歌.mp3をクリックすると校歌が再生されます。

JASRAC許諾第E1410033134号
 

校歌誕生のエピソード

 皆さんは、「浜千鳥」という曲をご存知ですか。「青い月夜の浜辺には、親をさがして鳴く鳥が」という歌い出しの曲です。

 作詞家である鹿島鳴秋氏が、友人の家にブラリ立ち寄り、一緒に新潟県柏崎にある裏浜海岸を散歩していた時、胸ポケットから鉛筆と手帳を取り出し、書き記した詩だそうです。砂浜の貝殻を拾い、晴れ渡る海を渡る千鳥に目をやりながら、瞼に浮かんできた情景や想いを、手帳に気ままに鉛筆を走らす鹿島氏に、「出来たら見せて!」と友人達がせがみました。少しして、笑いながら「こんな童謡ができたよ」と見せたのが、この「浜千鳥」の詩であったそうです。

 そして、この詩に曲をつけたのが、作曲家の弘田龍太郎氏であります。弘田龍太郎氏が作曲した他の作品には、「叱られて」「春よ来い」「靴が鳴る」「こいのぼり」「金魚の昼寝」「雀の学校」などの作品があり、広く愛唱され続けているものが数多くあります。童謡の作曲では、日本の第一人者であります。また、弘田氏は、校歌の作曲を頼まれることが多かったようで、多くの学校の校歌の作曲を手掛けていました。

 

 皆さんは、すでに気づかれたでしょうか。我が茂原中学校の校歌の作曲は、この偉大な作曲家 弘田龍太郎先生によるものです。

 ここで、校歌が誕生した時のエピソードについて、もう少し記してみたいと思います。

 茂原中学校が、現在の地に移転した年は、茂原市ではなく、まだ茂原町でありました。移転に当たり町長さんから校旗が寄贈されました。当時、学校の士気を高めるため、さらには生徒達のためにも、今度は「校歌」を作ろうという機運が高まりました。当時の第二代井桁校長先生をはじめ先生方は、思案の末、「校歌を制定するなら、本校に在籍している生徒のお父さんに作詞をお願いしたい」という考えが話し合えば話し合うほど強くなりました。それは、茂中の生徒であった白鳥東吾君のお父さんであり、PTA役員をされていた白鳥省吾氏でありました。校長先生は皆の思いを胸に秘め、早速、お願いに上がりました。

 えっ、「しらとりしょうご」ではないのという人もいるかと思いますので、少し説明をしますが、「私の名は、本当は、シロトリセイゴなのですけれど、皆がシラトリショウゴと呼びますので、これをペンネームに用いています」とある時、話されていたことをお知らせします。本名を呼ぶ方が今では多くいるし、お子さんの在学中はシロトリ君であっただろうと想像しますので、ここではシロトリセイゴさんとお呼びさせていただきます。

 

 校歌の作詞を依頼された白鳥省吾先生は、宮城県のお生まれで、早稲田大学を卒業後、日本を代表する詩人として、多くの詩集を刊行し、活躍されていました。また、詩人 白鳥省吾氏は、全国各地で校歌の作詞を依頼されたそうです。その数は、二百曲を有に超え、今でも各学校で大切に歌い継がれています。先生は、東京にお住まいでしたが、太平洋戦争終了の一年前、戦争が激しくなる中、奥様のご縁で一宮町の東浪見に一家で疎開をされました。そして、十年余りを過ごされました。その間、息子さんが茂原中に通っているという縁で、お忙しかったにもかかわらず、校歌の作詞をお願いしたところ快く引き受けていただけたそうです。 

 開校間もない当時の茂原中学校の運動場の半分以上は、松林、そして、身の丈ほどもある草が生い茂った草原でありました。民家もまばらであり、海軍の兵舎を校舎として、財政事情の厳しい中のスタートでありました。生活にも事欠くことが多かったと想像しますが、茂原の将来の展望とそれを担う青少年の健全育成のための、この地、この校舎にはフロンティア・スピリット、開拓魂が求められていました。

 この地に立たれた、詩人 白鳥省吾氏は、どんな情景を思い浮かべて作詞をしたのでしょうか。また、どんな想いを馳せ、どんな夢を描いて校歌の作詞に取り組んだのでしょうか。

文字通り、「緑の廣野 昇りくる 朝日の照らす学び舎」であり、「新しき光 世の光 あまねく浴びて われらたつ」であったことでしょう。

 歌詞に込められた母校を愛してほしい・世のために役に立つ人になってほしいという熱いメッセージを、今後とも感じ取りなから歌っていきたいですね、

昭和二十六年度の卒業生である息子さんは、二百校以上の校歌を作詞した父が、「茂中の校歌は、最も気に入っていた校歌の一つである」と晩年父が話していたことを覚えていて、ある日、私たちに語ってくれました。

 

 詞が出来あがると、井桁校長先生は、早速、先程お話しをした弘田龍太郎先生のお宅へ作曲のお願いにあがったそうです。「白鳥の詞だから」と、これもまた快く引きうけていただけたそうです。人の縁とは、本当に不思議なものです。

 日本を代表するお二人に、作詞・作曲された校歌は、昭和二十四年十月に盛大に披露されました。以来、この格調高い校歌は、皆さんのおじいちゃんやおばあちゃん、そして、お父さん、お母さんに歌い継がれ、今、皆さんが受け継いでいます。

 入学式や卒業式の折に、保護者席や来賓席からも、声高らかに校歌を歌う姿が拝見できます。茂中の心が一つになっていく瞬間であります。これぞ、茂中の歴史であります。伝統であります。宝であります。

 茂原中学校に、素晴らしい校歌を作詞・作曲していただいたお二人に、常に感謝しながら、校歌にあるように茂中は、本日、ここに集う生徒の皆さんとともに、新たな一歩を歩んで参りましょう。

(平成24年6月1日 開校記念式典にて 校長挨拶抜粋)